「監視社会反対」を叫んで逮捕されるこの頃、ジョック・ヤング『排除型社会』を読む

ジョック・ヤング、『排除型社会――後期近代における犯罪・雇用・差異』、青木秀男・伊藤泰郎・岸政彦・村澤真保呂=訳、洛北出版、2007年

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 先日、防犯カメラ付き自動販売機を破壊したとして、19歳の少年(会社員)が逮捕されました。この防犯カメラ&警察への通報機付きの自動販売機は、警察とコカ・コーラ社とが協力したもの。「お助け自動販売機」と呼ばれているそうです。
 昨年これが愛知県に設置されるや、ニュースにもなり、同時にその自販機のカメラ部分やセンサー部分が破壊されたり、さらに「監視社会!」や「カメラ反対!」というスプレーでの落書きがされるという事件が何度か起きはじめていました。
 そらまー壊したくなる気持ちもわかります。物理的に破壊することの是非はさておき、路上の自動販売機に顔とか行動が撮影されているかと思ったら、気持ち悪いというふうに感じるのが当たり前じゃないのかなぁ。ところが、いまの社会の風潮は、安全・治安のためには、プライバシーも自由も制限されていい、というふうになってきています。
 ブッシュの「対テロ戦争」がミクロ化されて浸透してきたこともあってか、あちこちに、ホント田舎の小さな駅の掲示板にまで、「テロリストはあなたのそばに潜んでいる」とか、「怪しい外国人を見たらすぐ通報を!」などという、通報を呼びかけるポスターが恒常的に貼られています(その標語はレイシズムじゃないの?)。
 そして、商店街・アーケード・講演などへの監視カメラの設置が進んできています。
 いまでは、渋谷のハチ公前スクランブル交差点の頭上にある大型ビジョンに、民間の看板会社が個人識別可能なカメラを設置しています。信号待ちでうっかりビジョンを見上げたら、データを取られてしまうわけ。その会社では、「全国展開」を目指しているらしいです(関連記事はここ)。

 しかし、、、犯罪率が急に上がっているとか、あるいは「防犯カメラ」が実際に防犯に効果を上げているのか、といったことに照らして、こういった日常的監視体制がその掲げる必要性や大義に沿っているのかは大いに疑問。
 この問題について、近代の「包摂型社会」から、「排除型社会」へと転換してきた(これが後期近代を特徴づける)、と論じているのが本書、ジョック・ヤング『排除型社会』(洛北出版)。訳者の簡潔な整理を引用すると、
人々は、安全な道徳空間を防疫境界線で囲い込み、そこから危険と思われる人々を排除していった。しかしそれでも、完全な防疫境界線を引くことはできず、犯罪のリスクを確実に抑えることはできない。他方、犯罪の統制機関(刑事司法制度)は、ささいな反社会的行動をも犯罪の予兆とみなし、それらを厳格に摘発するゼロ・トレランス政策を取っている。しかしそれも、刑務所の収監人口を増やしこそすれ、犯罪の発生を抑えることには役立っていない。

 もちろん、これは重厚な本書の論点の一部にすぎません。本書はさらに、差異に不寛容な排除型社会の文化論に踏み込んでいっています。他者、とりわけエスニック・マイノリティと壁をつくり、周縁化・排除をしていくことで、自文化中心主義的なアイデンティティ保持をしていってしまう、そうした文化的側面も扱っています。
 そして著者は、それへのオルタナティヴをも提示していきます。詳しくは本書で。

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排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異
洛北出版
ジョック ヤング

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