排他的ナショナリズムのはざまで消滅したユダヤ人共同体の歴史――野村真理『ガリツィアのユダヤ人』

野村真理、『ガリツィアのユダヤ人――ポーランド人とウクライナ人のはざまで』、人文書院、2008年

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 「歴史家」野村真理氏の最新の著作である。最近になって、著者と面識ができたが、しかし、私自身の問題関心と野村さんの仕事との接点は、15年ほどさかのぼり、大学の学部生の頃から野村さんの仕事によって勉強させられてきたと言ってもいい。
 学部生時代の関心というのは、マルクスのドイツ・イデオロギー論の意義を、廣松渉とルイ・アルチュセールを導きの糸として比較読解するというもので、野村さんのお名前は、廣松の仕事を網羅的に調べるなかで、廣松渉・良知力(編)『ヘーゲル左派論叢』の訳者の一人として認識していた。

 ヨーロッパ哲学研究から、ヨーロッパ社会のユダヤ人問題に私の関心が移動するなかで、上記『ヘーゲル左派論叢』の第三巻「ユダヤ人問題」(1986年)の重要さを再認識し、とりわけ、モーゼス・ヘスの「ローマとエルサレム」の野村さんによる抄訳の仕事は本当に貴重なものであったし、また先駆的なヘス論も収録されている野村真理『西欧とユダヤのはざま――近代ドイツ・ユダヤ人問題』(南窓社、1992年)もむさぼるように読んだ記憶がある。
 「思想史家」野村真理氏が決定的に私に与えた影響である。拙著、『ユダヤとイスラエルのあいだ』の問題意識は、このあたりの野村さんの仕事に深く刻印されていると言ってもいい。

 周知のように、野村さんのその次のお仕事は、大著『ウィーンのユダヤ人――19世紀末からホロコースト前夜まで』(御茶の水書房、1999年)であり、野村さんはどんどんと具体的な歴史像へと接近していった。
 その次の成果が本書『ガリツィアのユダヤ人』となるが、「ユダヤ」に徹底的にこだわりつつ、7~8年スパンであるまとまったテーマを自らに課し、それを着々とこなし成果を形にして世に問うていることが驚嘆させられる。しかも、生の歴史資料に当たるために、イディッシュ語やポーランド語やウクライナ語をマスターしていったという努力にも頭が下がる。本当に尊敬すべき歴史家であり、その誠実さとバイタリティにはただただ圧倒される。

 本書が対象とする「東ガリツィア」とは、現在はポーランドと接するウクライナ領となっている場所。しかしそこには、かつて多くのユダヤ人が生活し、二つの対戦を挟み、ポーランドとウクライナ、そしてロシア・ソ連、ナチス・ドイツとのあいだで翻弄され、虐殺され、そしてユダヤ人コミュニティは文字どおり「消滅」した。
 わずかな生き残りのユダヤ人は、ウクライナ領ガリツィアを追放され、旧ドイツ領で戦後ポーランド領となったシロンスクへの移住を強いられ、そこからさらにアメリカかパレスチナに移住していったという。
 本書は、その帰趨を、第一次大戦前から第二次大戦終了まで追いかけ描いたものである。
 ドイツのナチズムだけではなく、ポーランド・ナショナリズムやウクライナ・ナショナリズム、そしてスターリニズムなどのはざまにおかれ、その摩擦のなかで消されたと言ってもいいユダヤ人たち。この存在を歴史として描き切ろうとする野村さんの姿勢には感動さえ覚える。

 言わずもがなのことを加えれば、このタイミングでの再読は、ガザ・ゲットーでの虐殺をいやおうなく想起させられる。ユダヤ人の体験を歴史化し思想化することは現実の前で無力なのか、あるいはまだ思想化が徹底されていないと見るべきなのか。

目次

第一部 ポ・リン――ガリツィア・ユダヤ人社会の形成
 第一章 貴族の天国・ユダヤ人の楽園・農民の地獄
 第二章 オーストリア領ガリツィアの誕生
 第三章 ヨーゼフ改革とガリツィアのユダヤ人
 第四章 ヨーゼフ没後のガリツィアのユダヤ人

第二部 両大戦間期東ガリツィアのポーランド人・ユダヤ人・ウクライナ人
 第一章 一九一八年ルヴフ
 第二章 ポーランド人とユダヤ人
 第三章 ウクライナ人とユダヤ人

第三部 失われた世界――ガリツィア・ユダヤ人社会の消滅
 第一章 独ソ戦前夜のOUNの戦略
 第二章 一九四一年ルヴフ
 第三章 ルヴフのユダヤ人社会の消滅

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