新世代の沖縄研究のエッセンス――『沖縄・問いを立てる』(全6巻)/とくに第3巻について

屋嘉比収、近藤健一郎、新城郁夫、藤澤健一、鳥山淳(編)、
『沖縄・問いを立てる1 沖縄に向き合う――まなざしと方法』、
社会評論社、2008年

画像


 若い世代の沖縄研究者の画期的なシリーズだ。まずもって全巻の構成を見よう。

 第1巻 沖縄に向き合う――まなざしと方法 (編者全員)
 第2巻 方言札――ことばと身体 近藤健一郎編
 第3巻 攪乱する島――ジェンダー的視点――新城郁夫編
 第4巻 友軍とガマ――沖縄戦の記憶 屋嘉比収編
 第5巻 イモとハダシ――占領と現在 鳥山淳編
 第6巻 反復帰と反国家――「お国は?」 藤澤健一編

 各巻6本前後の論文で構成され、コンパクトな装丁になっている。幅広い問題を扱っていながら、1冊ずつテーマ別に構成され、6冊。また新鮮な書き手によってすべて書き下ろしの論文が集められており、資料的に積んでおくよりは、一気に読み通せるようになっている。そして読み通すことで、いま「沖縄に向き合う」ために考えるべき課題の全貌が示されるという感じだ。

 第1巻は、編者全員による座談会や各巻の概説、そしてブックレヴューなので、2~6巻の目次を以下に示す。

第2巻 方言札――ことばと身体 近藤健一郎編
 沖縄における「方言札」の出現(近藤健一郎)
 「南嶋詩人」、そして「国語」(村上呂里)
 近代沖縄における公開音楽会の確立と音楽観(三島わかな)
 翻訳的身体と境界の憂鬱(仲里効)
 沖縄教職員会史再考のために(戸邉秀明)
 沖縄移民のなかの「日本人性」(伊佐由貴)

第3巻 攪乱する島――ジェンダー的視点――新城郁夫編
 「集団自決」をめぐる証言の領域と行為遂行性(阿部小涼)
 沖縄と東アジア社会をジェンダーの視点で読む(坂元ひろ子)
 戦後沖縄と強姦罪(森川恭剛)
 沈黙へのまなざし(村上陽子)
 一九九五―二〇〇四の地層(佐藤泉)
 母を身籠もる息子(新城郁夫)

第4巻 友軍とガマ――沖縄戦の記憶 屋嘉比収編
 戦後世代が沖縄戦の当事者となる試み(屋嘉比収)
 曾野綾子『ある神話の背景』について(黒澤亜里子)
 座間味島の「集団自決」(宮城晴美)
 「ひめゆり」をめぐる語りのはじまり(仲田晃子)
 ハンセン病患者の沖縄戦(吉田由紀)
 日本軍の防諜対策とその帰結としての住民スパイ視(地主園亮)

第5巻 イモとハダシ――占領と現在 鳥山淳編
 占領と現実主義(鳥山淳)
 東アジアの視野で沖縄占領を考える(若林千代)
 琉球大学とアメリカニズム(田仲康博)
 復帰後の開発問題(安里英子)
 集団就職と「その後」(土井智義)

第6巻 反復帰と反国家――「お国は?」 藤澤健一編
 〈無国籍地帯〉、奄美諸島(前利潔)
 国家に抵抗した沖縄の教員運動(藤澤健一)
 新川明論(納富香織)
 大城立裕「二世」論(我部聖)
 「反復帰・反国家」の思想を読み直す(徳田匡)

 どの巻もたいへんに問題提起の鋭いものばかりで、一気に読むと打ちのめされてしまいそうな感じもします。が、どれもこれも大事なことばかり。





   *   *   *   *

 全巻について一気に論及することはできないので、ここでは第3巻「撹乱する島――ジェンダー的視点」について少し踏み込んで紹介します。他の巻はいずれの機会に。

画像


 まず、編者である新城郁夫氏による「まえがき」が重い。花村萬月『沖縄を撃つ!』(集英社新書)という本で、この本土のマッチョな作家・花村が、自身のポジショナリティも無頓着に、自ら沖縄で買春をしておきながら、偽悪的な文体で沖縄に対して、「沖縄の女性たちが売春をしなくてすむようにあなた方自身がなんとかしろよ」と叱咤する。とんでもない倒錯した話だ。こんな本が、新書で流通する構図が寒々しい。
 ここに作動するジェンダー規範の暴力性を新城氏は鋭く指摘することから、本書全体の試みを解説する。

 阿部小涼氏の「「集団自決」をめぐる証言の領域と行為遂行性」は、沖縄戦の「集団自決」の証言について、日本軍の自決命令はなかったとする曾野綾子らの議論を批判し、「証言の領域」を繊細に描いた宮城晴美『母の遺したもの』を分析する。集団自決には、ひめゆりの例からも明らかなように、純潔主義的なイデオロギーが働いていたし、またそれを伝える証言にも「女の証言の領域」があるということを、阿部氏は論じる。

 佐藤泉氏の「一九九五―二〇〇四の地層――目取真俊「虹の鳥」論」は、ここのサイトでも取り上げた目取真作品「虹の鳥」を、黒澤亜里子氏の論考よりもさらに深く掘り下げ、論じたものだ。
 1995年というのは、アメリカ海兵隊員3人が沖縄で少女を集団暴行した事件が起きた年であり、2004年は小説が発表された年だ。小説の中で、この少女暴行事件の抗議集会が描かれた場面がある。佐藤氏は、目取真が、この9年間においてどのような磁場の変動があったのかを強く意識していたと論じる。一時的に盛り上がった反基地闘争は、その後の産業振興や「基地との共存」といった切り崩し政策の前に無化されていった。小説に登場する「壊れた」人間たちは、この不可視化された暴力によって歪んでしまったのではないか、、、
 文章も展開も、文学の人らしく、グッと読ませるもので、一気に読んで圧倒された。

 なお、編者の新城氏もまた別の目取真俊論「母を身籠もる息子――目取真俊『魂込め』論」を寄せていることも付記しておく。

にほんブログ村 本ブログ 学術・専門書へ