文学者として、日本人として、こだわりつづけた「民族問題」――鈴木道彦『越境の時』

鈴木道彦『越境の時――一九六〇年代と在日』(集英社新書、2007年)

画像


 昨年の刊行で、一部にはものすごく話題になった。僕もそのときにすぐに買って読んだ。
 最近、ここで提起されている思想的課題に真っ正面から取り組もうという友人がいて、再読。それにしても、圧巻だ。

 思想的課題というのは、「民族」というものをどのように引き受けるのか、という一言にまとめられる。
 とくにこの問題の所在が顕著に現れるのが、李珍宇氏と朴壽南氏との往復書館だ。獄中に捕えられ短期間で死刑に処された「殺人犯」李珍宇と、何度となく刑務所に足を運び手紙を書き続け、そして李珍宇から「言葉」を引き出した朴壽南。それはいまでは朴壽南(編)『 李珍宇全書簡集』(新人物往来社、1979年)として読むことができるが、当時は、死刑直後に『罪と死と愛と』(三一新書、1963年)という形で出された。
 鈴木道彦氏は、裁判中の1960年からずっと現在にいたるまで、この問題に「日本人として」向き合うことの意味について、考えつづけている。
 最も直接的に接してきた朴壽南氏は、「朝鮮学校に行き朝鮮語を学んでいれば、李珍宇は殺人犯などにはならなかった、朝鮮民族としての明確なアイデンティティこそが大事なのだ」、と李珍宇その人に訴える。当の李珍宇氏は、しかし、そんなことが実感をともなっては受けとめられない。そして他方で、日本人のヒューマニスト文人たちは、抽象的な人間存在とか人権といった次元でしかこの問題を考えようとしない。
 鈴木氏は、朴氏のナショナリズムと日本のヒューマニズムのどちらにも違和感を抱き、李珍宇自身の懊悩と、自身の民族観とをすり合わせて考え抜く。それが「否定の民族主義」という著者の思想を生む。

 1954年からフランス留学をした鈴木氏は、フランスのインドシナ半島撤退に接し、アルジェリア独立戦争に直面する。第三世界の民族独立主義に共鳴しながらも、しかし、実体的に民族や祖国が礼讃されることにも異論を唱えた。それは、そういった愛国主義が侵略戦争を引き起こしたという、日本(人)の「民族責任」ゆえであり、また、民族や祖国を最後まで拒絶した李珍宇に、つまり日本社会で抑圧・隠蔽されてきた在日朝鮮人の存在を犯罪という形で顕在化させた李珍宇に、きるだけ寄り添おうとしたがためであった。
 そして、鈴木は文学者として李珍宇をフランスのジャン・ジュネになぞらえ、「否定の民族主義」を提起した。

 僕自身、近年になって何度か朴壽南氏に個人的に会って話をする機会があった。しかし彼女は当時からすでに実体的で肯定的な「民族」に定位していたため、いま現在この李珍宇氏が示唆し鈴木道彦氏こだわった問題について、意識している節はなかった(というよりも、朴氏は朴氏で、別のさまざまな問題に忙しく取り組み続けている、ということではあるが)。
 しかし、本書『越境の時』を読むと、鈴木氏の粘り強い思考の軌跡がうかがわれる。
 そして、いまもっとはるかに若い世代の友人が、さらにこの「否定の民族主義」について、現在時から在日三世として、思考を深めようとしている。
 その成果が出たときには、ここで紹介したいと思う。

 なお本書のもう一つの山は、60年代のもう一つの在日朝鮮人の「犯罪」をめぐる裁判闘争、金嬉老事件だ。
 鈴木氏は、どこまでも愚直に裁判支援をし、そして金嬉老本人とも対話を重ねた。そこに費やした時間と労力は半端なものではない。その事の詳細はいちいち触れない。
 ただ、いわゆる「知識人」たちが、リベラルな、ときにはラディカルな思想的立場から、そういった運動に「賛同人」とか「呼びかけ人」として名前を連ねることが多いのに対して、鈴木氏のコミットメントは、生半可なものではなかった。日本人マジョリティとして一人の在日朝鮮人をそこまで追い込んでしまったという社会的責任と、そして反対に、そういう社会環境に帰すことで当人の主体性を奪ってしまうこととの、ギリギリの「あいだ」で、民族や民族責任の問題を捉えようとした。

 1929年生まれで、来年には80歳になる。鈴木氏は、現代史の重要局面を同時代的にここまで生に体験してこられた。その昨今の日本の右傾化・反動化に対する厳しい言葉も、そのあたりの評論家の言葉などより、はるかに重い。

にほんブログ村 本ブログへ


越境の時―一九六〇年代と在日 (集英社新書 (0387))
集英社
鈴木 道彦

ユーザレビュー:
サルトルを〈活用〉す ...
これが「知識人」テレ ...
考えることを拒絶した ...
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ