ブラジル移民100年ーー日本の移民政策の隠された歴史と翻弄された人びとを描く長篇小説『移民の譜』

麻野涼、『移民の譜(うた)ーー東京・サンパウロ殺人交点』、徳間文庫、2008年

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 1908年6月18日に第1回のブラジル移民船が出てから、ちょうど100年になる。この本は、それを期にして、文庫化されたものだ(原題『天皇の船』文藝春秋、2000年)。

 戦前の意味は、貧困な農村の人減らしが多かったが、戦後直後は戦地・植民地からの引揚者の激増による失業者対策による移民が多かった。ともあれ、中南米諸国への日本の海外植民政策の歴史は古く、かつ利害関係は錯綜している。周知のように、移民先が「至上の楽園」のごとく宣伝し移民を斡旋した政府に対して、現実がいかに過酷なものだったのかを訴え、裁判にまでなっているケースは多い。
 さらに経済大国となった日本には、1980年代はデカセギ労働者と不正規滞在者、90年代からは日系人労働者が、中南米から日本へと入ってきており、問題が重層化している。

 この小説は、そうした背景をもとにした壮大な長篇推理小説であるが、とにかくベースにしている知識量がものすごい。これは、小説家がネタ探しにちょっとお勉強をしましたという次元ではない。細かな歴史的事実だけではない。移民一世と二世のギャップ、入植先の農村部とそこからさらに離散した都市部とのギャップ、事実上の「棄民」政策で絶望的な生活を強いられた底辺の弱者たち、日系移民コミュニティ内での日本の敗戦をめぐる「勝ち組」と「負け組」との抗争、移民を食い物にした詐欺・闇ビジネス、そして戦時・戦後の移民事業に関わり現在も地位を確保している政治家・民間人、対照的に、「帰国」した一世・二世らが転落した「ホームレス」。600頁超の長篇のなかに、実にさまざまな利害関係者が錯綜し、移民事業をめぐる隠された複数の物語が大きな一枚の絵が描かれていく。

 それをタネ明かししてしまえば、この小説家「麻野涼」は、ノンフィクションのルポライター高橋幸春氏の小説家名である。高橋幸春氏には、『蒼氓の大地』(講談社、1990年)や、『カリブ海の「楽園」ーードミニカ移住30年の軌跡』(潮出版、1987年)といった、日本からの移民を追いかけた優れた作品がある。したがって、小説家がネタのお勉強をしたのではなく、逆に、専門家がその作品をルポではなく、小説の形式で記述した、ということになる。
 ルポや論文という論証や表現の形式による制約を取り払って、小説のかたちで描き出すことのメリットはいくつか上げられるだろう。それは理解できる。しかし、あまりにも陳腐で通俗的な描写・言い回しがしばしば気になった。また、都合のよすぎる偶然も多用しすぎに感じた。

 とはいえ、ブラジル移民100年のこの機会に一読するのは、歴史と現在を振り返るのに、いい機会になると思われる。

 なお、日系ブラジル人については、『ディアスポラと社会変容』、および、『現代思想2007年6月号:隣の外国人』の両書における、アンジェロ・イシ氏による発言や文章は、「在日ブラジル人」を自任する若いラディカルな日系ブラジル人の試みとして注目に値する。

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