早尾貴紀:本のことなど

アクセスカウンタ

zoom RSS ベツレヘムで『ベツレヘムの密告者』を読む/「コラボレーター」を描くことの難しさ

<<   作成日時 : 2010/01/02 01:10   >>

トラックバック 0 / コメント 0

マット・ベイノン・リース『ベツレヘムの密告者』小林淳子訳、ラムダムハウス講談社文庫、2009年

画像


 数日ベツレヘムに滞在する機会があり、もってきていた日本語の文庫を、夜中に読む。半ば偶然、半ば選んだように、『ベツレヘムの密告者』。
 エルサレム駐在の記者が、実際にあった事件への取材をもとに、しかしジャーナリズムでは描けない「グレーゾーンを、小説というかたちで描くことを試みたという。「新人作家の本格ミステリ」として本書は絶賛されたという。

 たしかによくできている、と言える。
 主題は、「コラボレーター」問題。密告者/コラボレーターというのは、パレスチナの西岸地区やガザ地区のパレスチナ人で、占領者であるイスラエル軍や治安機関に対して内部情報を提供している者のことだ。占領とともに、1967年からこの問題は、パレスチナ社会の内部を蝕む根深い問題として存在してきた。共同体を内部から破壊する醜悪な暴力だ。
 本書は、長年の取材にもとづいており、内通とか敵対協力という微妙で錯綜した細部を、ひじょうに上手く描いている。

 しかし、どうしても決定的な限界を感じてしまう部分もある。
 第一に、ミステリ仕立てなので、最後の最後にようやく、本当の密告者が誰なのかが明かされる展開になっている。疑心暗鬼が蔓延する密告社会の苦しさを、展開によって読者に伝えているとも言えるが、しかし最後に明かされた密告者が、いったいどのような背景でイスラエル軍への密告者となり、どのような形で密告をしてきたのか、それらは描かれずに終わってしまう。ミステリのネタが明かされたところで、物語が終わってしまうのだ。

 第二に、「外の視点」のメリットと限界だ。コラボレーター問題だからこそ、内部の人間には描きにくいのは言うまでもない。外国人(イギリス人)の著者だからこそ、描けたというのは実際そうだろう。内部の暴力の問題と、「訪問者の視点」ということで言えば、最近このサイトでも取り上げた、目取真俊と池澤夏樹の沖縄を舞台にした小説のことを思い起こさせる。だが、この著者は、どこまで自分の部外者性を自覚しているだろうか。それがイマイチ伝わってこない。

 以前、パレスチナ情報センターのサイトで、イスラエルのドキュメタリー映画『コラボレーター』について書いたことがある。イギリス人によって描かれ、英語で、あるいは翻訳されて日本語で、この作品が消費されるときに、ここで指摘したのと同質の問題が生じるのではないか。

 最後に翻訳にケチをつけるようだが、例によって、アラビア語のカタカナへの置き換えは、英語的になされるのみで、配慮がまったく見られない(その気があれば、ある程度自分で調べることも、研究者に聞くこともできたろうに、その気がまったくなさそう)。この点は残念だ。

にほんブログ村 本ブログ 学術・専門書へ


ベツレヘムの密告者 (ランダムハウス講談社 リ 5-1) (ランダムハウス講談社文庫)
ランダムハウス講談社
マット ベイノン リース

ユーザレビュー:
パレスチナの今を伝え ...
過酷で悲惨な現実に耐 ...
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ベツレヘムで『ベツレヘムの密告者』を読む/「コラボレーター」を描くことの難しさ 早尾貴紀:本のことなど/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる