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zoom RSS NHKドラマ化、司馬遼太郎『坂の上の雲』の問題点――半沢英一『雲の先の修羅』

<<   作成日時 : 2009/11/30 09:16   >>

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半沢英一『雲の先の修羅――『坂の上の雲』批判』、東信堂、2009年


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 司馬遼太郎『坂の上の雲』のドラマ化が、昨晩からNHKで始まった。

 この小説は、日清戦争から日露戦争にかけての時期を舞台としたものであり、この二つの戦争を「祖国防衛」の健全な戦争、とりわけ後者を、ロシア帝国主義との対決、あるいはヨーロッパ文明とアジアの小国との対決と位置づけている。これが、のちの太平洋戦争の「過ち」との対比の上で、「暗い昭和」に対する「明るい明治」という、司馬史観ともされる物語となって、広く受容されることになった。
 しかし、日清・日露戦争が、清やロシアに日本が攻撃される恐れがあって自衛のために戦争をしたのではなく、朝鮮半島や中国東北部での権益をめぐって戦われた戦争であった(事実、日露戦争が終結してからも着々と朝鮮半島への介入が進められ、そのわずか五年後の1910年に韓国併合がなされた)ということは、まっとうな歴史研究者から指摘され、その点で司馬史観が歴史の捏造であるということも、少なからずの批判がなされてきた。
 また、こうした司馬史観が、「歴史はナショナリズムを鼓舞する神話・物語でいいのだ」と開き直る、「新しい歴史教科書をつくる会」などの主張と親和的であることも問題として知られている。

 だが、にもかかわらず、NHKがドラマ化をし、今後大々的に放送していくという。来年・再来年にかけて、すなわち、1910年の韓国併合から100年という歴史が振り返られるべきタイミングでのドラマ化だ。
 このドラマ化と受容が、日本における歴史認識に大きな影響力を与えていくことが懸念される。偏狭なナショナリズムにますます自閉していく危険が高まっている。

 このタイミングでぜひとも読まれるべき本が出た。半沢英一『雲の先の修羅――『坂の上の雲』批判』だ。
 この本がもっとも特徴的なのは、歴史家ではなく「数学者」によって書かれたという点かもしれない。ひじょうに明快に、論理的に、『坂の上の雲』の問題点が列挙され、そのひとつひとつについて、「史実」や史料が対置され、それが場合場合において、いかなる誤謬、史料的限界、無知、意図的歪曲によって生じているのか、分析・整理されている。
 数学者ならではの論証は、司馬の矛盾や破綻が生じている原因を、確実に特定できるところと、推定の範囲でほぼ言えることとを、きっちりと示していき、そこから妥当な結論(司馬史観の問題点)がきわめて説得的に導きだされている。

 しかも著者は、歴史の専門家ではないが、もちろん歴史に通暁している。この点がまた、司馬史観の問題点を抉りだすことに成功していると思われる。すなわち、専門家による最先端の歴史資料の緻密な分析・解釈の領域にまで突入せずとも、一般に刊行され流通している歴史書に当たることによって、司馬史観の間違いは確実に指摘できるし、また『坂の上の雲』連載・刊行時に流通していた著名な書物(当然司馬が読んでいたか、その気があれば調べることができた書物)と突き合わせることによって、司馬の無知・不勉強や意図的歪曲が指摘可能だというわけだ。

 さらに著者は、戦争文学にも精通しており、ヘロドトス『歴史』、トルストイ『戦争と平和』、陳舜臣『江は流れず』などの優れた作品と対比させることで、これらのもっている複眼的視点と理性的論述が『坂の上の雲』には欠如しており、司馬作品のほうは偏狭なナショナリズム・ミリタリズムを煽動することになっている点を批判している。この点も説得的である。

 また最後に、そこから「アイデンティティ」の問題、すなわち『坂の上の雲』にナショナル・アイデンティティの救済を求める日本人の危険性について分析を進めている。この傾向がかえって、アジアとの、世界との信頼関係を損なうことになってきたし、いまここでまたも司馬史観を賞揚することは、その過ちを繰り返すことになる。
 そういう点では、NHKのドラマ化は、ひとつの危ういターニング・ポイントになりうる。そのいまこそ、半沢英一『雲の先の修羅』は、ぜひとも読まれなければならない、と思う。

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