早尾貴紀:本のことなど

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zoom RSS イスラエル国家についての正確でかつバランスのとれた「教科書」――臼杵陽『イスラエル』岩波新書

<<   作成日時 : 2009/05/07 06:08   >>

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臼杵陽、『イスラエル』、岩波新書、2009年

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 現代イスラエル国家の成り立ちについて、ここまで正確な記述で全体像を描くことができる研究者は、日本語圏ではやはり臼杵陽氏をおいてほかにはいないと思う。新書というコンパクトさにしては、たいへんに詳細な事実の積み上げが通史的になされており、かつその積み上げが全体像を浮かび上がらせるというかたちになっている。
 イスラエルに限定しての論述とはいえ、パレスチナの占領地、それからアラブ諸国や欧米露諸国との関係についても目配りが行き届いている。そしてイスラエル国家が建国の起源からして、世俗ナショナリズムとしてのシオニズムと、それとは相容れないユダヤ教の宗教原理主義(反国家ないし非国家)と、アラブ人(ムスリムとキリスト教徒)国民をも包容する民主主義と、その矛盾する三極構造にあり、そこからある種の多文化主義へと流れていく現状にポイントを置いている。

 この点、最近刊行された同じく現代イスラエル国家を建国前のシオニズム運動から通史的に描いた大著、マーティン・ギルバートの『イスラエル全史』(上下巻で1000頁超、1万円!)と比べると、臼杵氏の200頁で800円の新書がいかに優れているかがさらにはっきりとする。
 ギルバート『イスラエル全史』については、すでに『週刊読書人』(4月10日号)の書評で批判点も含めて論じたことがあるが、あまりにイスラエルの立場に無意識に同一化した物語になってしまっている。いわば「国家の正史」だ。やはり、パレスチナ/アラブ、欧米露なども含めた複眼的な視点がなければ、どんなに重厚な物語も、どこか胡散臭く薄っぺらいものと感じてしまう。
 ギルバートの大著にそういう不満をもっていた矢先の臼杵氏による本書刊行。タイミングもよく、かつ好対照のものとなった。

 逆に言うと、このコンパクトさで濃密な歴史叙述になっているため、想定される読者への要求水準は高い。「最初の一冊」とするには難しいかも。一定の基本的な歴史を知っていないと、本書の利点は十分には活かせないかもしれない。

 それにしても、この正確無比な記述によって、やはり臼杵氏をおいてほかに適任者なしと思える本書の「あとがき」までを読むと、さらに臼杵氏の姿勢に打たれる。
 イスラエルと付き合い始めてまだ四半世紀にも満たない。…そんな私が…、このような本を執筆するのにふさわしいとも思ってない。にもかかわらず、七転八倒の苦労の末、このような本を出版したのは、イスラエルという国は多様な顔をもっており、付き合った人の個性がそのイスラエル論には反映される、と考えることができると思うようになったからである。つまり、私の見たイスラエルを描くということである。

 実際には、一読した印象は、本人の弁明とは逆に、理想の教科書のような「客観性」(バランスの取れた事実の積み上げ)をもっている。しかしそれでも著者本人は、「私の見たイスラエル」であるという。
 たしかに、いかなる歴史も、極言すれば、誰かが描いた物語にすぎない。しかしそれはやはり極言というもので、実証性やバランスなどの観点から論述の是非は問われざるをえない。本当にただの思い込みのような物語であれば、有用でもなければ、広く読まれることもないだろう。

 著書は「あとがき」の末尾でさらに、「この新書も二〇世紀終わりの四半世紀という過去における私の経験を踏まえたイスラエル論であることを自覚しつつ、若い世代による将来のイスラエル論への布石になれば幸いだと考えている」と記している。しかし率直に、臼杵さんを凌ぐ研究者はそうは出てこないと思う。
 板垣雄三氏を第一世代とし、臼杵氏が第二世代。反省と罪悪感も込めて書けば、イスラエル/パレスチナをトータルに描ける若い世代の研究者は続いていないのではないか。優劣だけの問題ではなく、時代の風潮もあり、「特殊論/個別論」へと流れているのも一因かもしれない。

 ともあれ、臼杵氏の『イスラエル』は当面のあいだはスタンダードとして広く読まれるべきものだと思う。

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