大江志乃夫氏の訃報に触れて――大江志乃夫『凩の時』など

大江志乃夫『凩の時』、筑摩書房1985年、ちくま学芸文庫1992年

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 歴史家の大江志乃夫氏が亡くなったという記事を見た。日本近代史の大家だ。
 僕も多くを学ばせてもらった。本当に多くの仕事を残した人だったけれども、最大の一冊は、『日露戦争の軍事史的研究』(岩波書店、1976年)だろう。また立風書房から出した二冊、『東アジア史としての日清戦争』(1998年)と『世界史としての日露戦争』(2001年)も大きな仕事だったし、『岩波講座 近代日本と植民地(全8巻)』の編集の仕事も偉大だった。岩波新書と中公新書も多い。岩波では『戒厳令』(1978)、『徴兵制』(1981)、『靖国神社』(1984)、中公では『日本の参謀本部』(1985)、『張作霖爆殺』(1989)、『バルチック艦隊』(1999)。
 ほかにも挙げるべき業績はたくさんある。

 ただなかでも、異色なのは、大佛次郎をとった歴史小説『凩の時』。日露戦争後の日本の軍国化への流れと、それに抗した社会主義運動を、「歴史物語」として描いた。自身も認めるように、これは「歴史家としての節度を越えた」蛮勇であった。文庫版に寄せた著者あとがきを読もう。
 この一冊を歴史小説として読むか、歴史叙述の手法から逸脱した社会史の叙述として読むか、読者の自由にまかせたい。ある時代の限られた時間と空間に生きた人々の群像を、とくに歴史のひだに属するデテイルにまで立ちいって推理し、描いてみたいという願望は歴史叙述にしたがう人間の業である。業であることを知って、歴史家としての節度を越えないことが歴史学の本来の道であろう。その節度を越えるように私を誘惑したのは、大岡昇平『天誅組』であった。
 知る人は知るところであるが、大岡昇平は、小説家として、多くの歴史小説に対して、史実と異なるという批判と論争を展開した。井上靖、海音寺潮五郎などが槍玉に挙がった。そして最後に、森鴎外の『堺事件』を批判し、自ら『堺港攘夷始末』したが、未完となって逝去した。
 その大岡に刺激を受けて、大江志乃夫は『凩の時』を書いたという。

 ともあれ、歴史と物語、史実と小説とは、実のところ、その線引きはひじょうに難しい。実証性、仮説と検証のフィードバックなどの基準によって、社会科学としての歴史学を論じることは可能だし必要だが、他方で、人間の認識と論述が言説による以上は、いかなる歴史叙述も物語性を免れることはできない。
 これはいつの時代にもあり続けた、典型的な歴史家論争の一つだ。
 ただそれにしても、歴史家自らが、自覚している戒めを破ってまで小説を書くという例は少ないだろう。
 ジャーナリストでルポルタージュと小説とを使い分ける人はまだ見られる。しかし往々にして、そうして書かれた小説は、題材が素晴らしくとも、小説としては陳腐な駄作が多い。
 それに対して、大江『凩の時』は大佛次郎賞を受賞し、評価は高い。ただしそれでも、この「歴史家の節度を越えた」ことに対する評価は分かれるところだと思う。

 故人に敬意を表しつつ。
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凩の時 (1985年)
筑摩書房
大江 志乃夫

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