ノーベル賞劇作家ハロルド・ピンターの発言集『何も起こりはしなかった――劇の言葉、政治の言葉』

ハロルド・ピンター『何も起こりはしなかった――劇の言葉、政治の言葉』、貴志哲雄(編訳)、集英社新書、2007年

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 ハロルド・ピンター(1930-2008年)は、ユダヤ人の家系でロンドンに生まれた。舞台俳優であり劇作家であり、その「ピンタレスク」という言葉も生み出した独特の作風は不条理演劇の代表と目された。そして生涯、政治的・社会的発言を続けた。とりわけ、アメリカとイギリスの帝国主義的外交・軍事戦略に対しては、痛烈きわまる発言を重ねた。
 本書、『何も起こりはしなかった――劇の言葉、政治の言葉』には、2005年にノーベル文学賞を受賞したときの記念講演「藝術・真実・政治」の全文と、80年代末から最晩年までの紙上での政治発言のセレクション、そして創作活動についてのインタヴューが収録されている。しかもコンパクトな新書でお買い得(余談だけれども、集英社新書には、ジジェクやチョムスキー、アルンダティ・ロイやアマルティア・センなど、世界的に重要な発言をしている知識人の発言がラインナップに入っている。新書でこれだけやるのは画期的だと思う)。

 タイトルの言葉「何も起こりはしなかった」は、ノーベル賞講演のなかから取られているが、それはニカラグアやチリやイラクなどでアメリカが行なってきた生々しい虐殺・圧政が、しかしアメリカ本国ではリアルさに欠ける陳腐なショーとなり、あたかも何も起こらず、何も興味を引かない、そういう逆説的な事態になっていることを表現したものです。
 このノーベル賞講演は、実は1990年代に発表したいくつかの政治的発言をコラージュしたもので、このタイトル「何も起こりはしなかった」に関わる発言は、96年のガーディアン紙でのものだ。本書では99-105頁に収録されている。

 この「何も起こりはしなかった」という不条理な事態は、もちろんアメリカにとどまらず、イギリスにとどまらず、イラク戦争に参戦しアメリカ・イギリスと同じ「対テロ戦争」の陣営に属すると公言してはばからないこの日本の現状でもある。国会での空疎な論戦と、それを空疎なまま垂れ流すテレビと新聞と、それを茶の間でひっくり返って見ているわれわれ。この日本の空間では、イラクやアフガニスタンでもう何年にもわたって驚くべき数の住民が虐殺されつづけていることも、「何も起こりはしなかった」かのような感覚でとらえられている。いや何も関心など払われていない。
 ピンターは生涯、このような不条理な現実に対して怒りつづけていた。
 またピンターはユダヤ人としてのアイデンティティをもっているが(信仰はもっていないと言うけれど)、しかしイスラエルのパレスチナ占領に対しても憚ることなく批判を加えている(本書では174-176頁)。

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 政治的発言についてはこれぐらいにして、劇作家ピンターの本領について。
 『ハロルド・ピンター全集(全三巻)』が1977年に新潮社から刊行されたものの、長らく品切れ。またそれから30年近くが過ぎていたにもかかわらず、新訳が出ていない状況だった。2005年にピンターがノーベル賞受賞を受賞して、同年末に日本でも上記全集がセットで復刊、9450円! 高額だけれども、古書市場での高額稀少本扱いと比べればお買い得かも。

 そしてここにきて、ようやく後期作品集が、なんとハヤカワ演劇文庫に入ることに。全三巻予定で、いまちょうどその第一巻が刊行されたところ。『ハロルド・ピンター1――温室/背信/家族の声』(喜志哲雄訳、2009年)。これでようやくピンターの全貌が日本語になる。

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