地域の独立/自立を考える――喜山荘一『奄美自立論――四百年の失語を越えて』(南方新社)

喜山荘一『奄美自立論――四百年の失語を越えて』南方新社、2009年

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 先の記事で、東琢磨さんの『ヒロシマ独立論』(青土社)を取り上げました。
 東さんは、沖縄の反復帰運動を参照しつつ、思考の可能性として、ヒロシマ独立、つまり国家に纂奪されたヒロシマを取り戻すことを提起されました。

 今度紹介したいのは、喜山荘一さんの『奄美自立論――四百年の失語を越えて』です。
 喜山さんは、「与論島クオリア」というサイトを運営されています。すばらしいサイトです。ぜひご参照ください。

 今年2009年は、1609年の薩摩藩による琉球侵略から400年です。それに関連して多くのシンポジウムや雑誌特集などがありました/あります。
 国家と地域の関係の問題。とりわけ、沖縄に集中させられている在日米軍との関係から、内国植民地状態におかれている沖縄については、何度も反復帰運動が参照されるなど、沖縄と独立/自立の問題は論じられてきました。
 しかし、そこからスッポリ抜け落ちるのが、「奄美」です。奄美は、琉球からも切り離され、さりとて大和からも切り離され、それを著者は、「二重の疎外」、そして「失語」という表現で問題提起しました。まずは紹介文より。
 1609年、薩摩島津軍に侵略され、植民地化されてからちょうど400年。奄美は、現在に至るまで琉球ではない、大和でもない、と二重に疎外されてきた。
 本書は「二重の疎外」の構造と由来を追い、それをどのように克服するかを、各地で出自を隠すように生きてきた60万奄美同胞に提起する。同時に、国内植民地としての奄美の現実を広く明らかにする。

■目次より
第一章 二重の疎外―奄美は琉球ではない、大和でもない
第二章 黒糖収奪とは何か
第三章 なぜ、薩摩は奄美を直接支配したのか
第四章 近代化三幕―二重の疎外の顕在化と抵抗
第五章 日本人になる―二重の疎外からの脱出
第六章 奄美とは何か―秘する花のように
第七章 二重の疎外の克服へ
 ただ、より詳細な内容目次が、「与論島クオリア」の著書紹介ページにあります。ぜひこちらもご参照ください。この節立ての一覧を見ただけでもスゴイと思いませんか? ぜひお買い求めください。

   *   *   *

 ところで僕は一度だけ喜山さんをお見かけしたことがあるのですが、それは昨年仙台で開催されたカルチュラル・タイフーンでのセッションにおいてでした。喜山さんは、「アイヌ・奄美・沖縄――まつろわぬ民たちの系譜〈記憶の更新/再構築〉」と題されたセッションのパネリストのお一人でした。その「二重の疎外/失語」という提起に、僕はひじょうに打たれました。たまらずセッション終了後に、ご本人に話しかけました。
 そのときに言ったことでもあるのですが、しかし実は、僕はこのセッションの内容全体、あるいは設定には不満もあったのです。「東北」という「失語」状態を、「カルタイin仙台」の主催者は意識しているの? 沖縄と奄美、そしてアイヌ/北海道は主題化されても、「東北」は一言も触れないじゃない? そこにこそ「失語」があるのではないのか?
 東北地方は、戊辰戦争で「賊軍」とされ、田舎の後進地域と無自覚に侮蔑され、さりとてアイヌのような独自文化として尊重(あるいは明確な差別)を受けることもない。そのことに一言も触れないセッションなんて、、、
 もちろんこれは喜山さんに対してではなく、主催者に対して言いたかったことですし、また同時に、まさにこうして東北人・仙台人にとっても自らの疎外・失語状態が認識できないということにこそ、深刻な問題があるのだ、ということにも気づかされたわけです。

 ですから、僕は喜山さんの『奄美自立論』を、東北地方の文脈から読み直さなければならないのです。そしてまた、さまざまな地方の人びとに、独自の文脈で読み込んでもらいたいと思うのです。全国の地方人よ、本書を読みましょう。
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奄美自立論 四百年の失語を越えて
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喜山荘一

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