季刊『環』(藤原書店)にローゼンツヴァイク『救済の星』の書評を書きました

◆『〔学芸総合誌・季刊〕 環』(藤原書店)Vol.38
 特集:「プラスチック・ワード」とは何か
◆フランツ・ローゼンツヴァイク、『救済の星』、
 村岡・細見・小須田=訳、みすず書房、2009年


画像


 季刊誌『環』の最新号(38号)に、フランツ・ローゼンツヴァイク『救済の星』(みすず書房)の書評を書きました。
 長文の書評なので、ここでは冒頭部分だけお見せして、あとは雑誌でお読みください。
『救済の星』(ローゼンツヴァイク著)――他者との共生の思想的先駆
 ついにフランツ・ローゼンツヴァイクの歴史的大著『救済の星』が日本語に訳された。長らく待望されていた画期的訳業であるのは間違いない。だが、第一次世界大戦前後のドイツにおいてユダヤ人として生きたローゼンツヴァイクによる同書の意義を理解するのは容易ではない。のちにローゼンツヴァイク自身が自著解題ともいえる論文「新しい思考」(『思想』一〇一四号に日本語訳)において、同書を健全な人間悟性による「たんなる一つの哲学体系」と位置づけ、また訳者の一人である村岡晋一が解説できわめて明晰に「対話の哲学」としての体系性を整理しているにもかかわらず、しかし、同書を読み込むには、さまざまな文脈をおさえる必要がある。
 第一に、同書が第一次世界大戦(一九一四-一八年)の末期から戦後直後、一九一八年から一九年にかけて執筆され、二一年に刊行されているという点。第二に、本人が同書を「ユダヤ教の宗教哲学の本ではない」と明言しているにもかかわらず、同書の議論は、濃厚にユダヤ教思想の解釈を下敷きとしている点。第三に、ドイツ国家あるいはドイツ人マジョリティのキリスト教徒とユダヤ人との関係の位置づけが問題になっているという点。
    *    *    *
 第一の点から見ていこう。・・・

 ところで、ローゼンツヴァイクの書評と言えば、『思想』(岩波書店)7月号で合田正人氏が「哲学の終焉と新しい思考」として書かれています。また三島憲一氏も、『図書新聞』8月1日号で「究極の神秘主義――ローゼンツヴァイクは、危機の中でモラルの回復を説くお説教家ではない」として書評を書かれています。いずれもそれぞれの視点から重要な読解を提示しています。

 なお、『環』同号の特集は、「「プラスチック・ワールド」とは何か」。特集の説明より転載。
 現在、われわれの日常生活は、大量のことばによって取り囲まれている。テレビ、新聞といったメディア、政治家や行政当局の文書、空前の量で発行される雑誌や書物、そして今や日常において不可欠になったかに見えるインターネットは、おそるべき量のことばによって埋めつくされている。
 そのなかには、あからさまな力をふるって人びとを動かそうとするプロパガンダのことばも多いが、それ以上に、静かに、意識されないかたちで我々の思考のあり方や認識の枠組みを大きく方向付けることばが存在する。そのような、権威をまとってはいるが内容は空虚で、だからこそブロックのように安易に組み合わされて、いつの間にか我々の認識や行動を方向付けていることば――「発展/開発」「コミュニケーション」「インフォメーション」「ニーズ」「システム」等々、イリイチの言う「粘土のような可塑的な」ことば――を、晩年イリイチと親交の深かった言語学者ウヴェ・ペルクゼンは、“プラスチック・ワード”と名付けた。
 本特集では、この“プラスチック・ワード”という概念を糸口に、われわれの知を誘導し、認識を方向付けている数々のことばを批判的に検証してみたい。他者との出会い、他者との関係の構築によって、新しい何かが創出される現場を取り戻す手がかりを、“プラスチック・ワード”を検証することからはじめたいと思う。
 ちなみに小特集は、「なぜ、今、森崎和江か」。

にほんブログ村 本ブログ 学術・専門書へ




救済の星
みすず書房
フランツ・ローゼンツヴァイク

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ