民俗学と知識人の役割/小川徹太郎『越境と抵抗――海のフィールドワーク再考』

小川徹太郎『越境と抵抗――海のフィールドワーク再考』、新評論、2006年

画像


 日本の漁村のフィールドワークをしている親しい研究者の友人がいて、しばらくぶりに二人でゆっくりと話をした。とても大切な友人で、多くを教えられている。
 彼から薦められたわけではないけれども、会った後になってこの本を思い出した。

 著者の小川徹太郎氏は、2003年に44歳で急逝してしまった研究者だ。本書は、生前の論考を集めたものとなる。
 小川氏の姿勢は、小さき弱き声を拾うこと、「現場の知恵」を研究と劣らず大切にすること、に象徴される。民俗学、文化人類学、歴史学といった学問が、体制側の支配の道具とならないために、小川氏は学問の道と現場への近接とを相互に求めていた。

 ところで、自分とは分野の遠い漁村の民俗学の本と思って読んでいたら(異分野の読書は純粋に面白い)、なかに一篇、「「見捨てられていることの経験」と「対位法的読解」――戸坂潤、サイード、アレントを読む」という短い文章が収められていた。問題意識において通じるものを強く感じた。

 以下、新評論のサイトより。
 『越境と抵抗』という1冊は、現代民俗学の可能性の追究者でありつづけた小川徹太郎の仕事の結晶である。これはもっとも誠実な意味で、「民俗学」である。いまだ文字にされていない人々の経験の小さな声に耳を傾け、書かれているというだけで流布した常識に抵抗しつつ、図式に囚われた目が見つめることがなかった生活者の実践を見いだし、共有すべき知識の世界に解き放とうと歩く。そうした志が、この本を支えているからだ。
 従来の民俗学が、「常民」に象徴されるように、民衆の力に期待するあまりに「調和モデル」に陥ってしまった限界を、小川は文化批判の思想に学びつつ、乗り越えていこうとした。調和モデルは、社会的な対立や葛藤の否定や「抹消」を前提とし、また容認し、再生産してしまう。小川は先取りされた調和に依存せず、現存する違和にこだわり、その声に耳を傾け、細部を描きだそうとする。
 読んで教えられることは多くあるが、有効な切り口の一つは、文字の文化に対する身体の抵抗である。文字(帳面・図表・試験など)を操る者たちの「無理解」に対して、海の現場を生きてきた漁師たちが抱く、うまく言葉にならない不信に光をあてる。それはまた、学校という国家装置が囲い込んでしまった「民間」の領域の発掘でもある。
 生活を語るそれぞれの声の、裏側に散在する抵抗に出会い、その力を見届けるためにこそ、彼のフィールドワークがあった。その一方で小川は、異なった生活を営む者が、少数者に作りあげられ、少数者として遇されてしまう、制度としての「近代」の問題を鋭く問うていく。出職漁師、水上生活者、ニゴ屋、『浮鯛抄』、サリサリストアー、海国思想等々……、この本が切り開いてくれる知識の世界は広い。しかし、それ以上に、歩いて、聞いて、ねばり強く考える。その作法を読者としてたどり、学べることにこそ、この本の魅力がある。

にほんブログ村 本ブログ 学術・専門書へ

越境と抵抗―海のフィールドワーク再考
新評論
小川 徹太郎

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ