李静和(編)『残傷の音――「アジア・政治・アート」の未来へ』(岩波書店、2009年)、刊行です

李静和(編)
『残傷の音――「アジア・政治・アート」の未来へ』
 (岩波書店、2009年)


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 李静和さんを中心に進められてきたプロジェクト「アジア・政治・アート」の記録であり、一つの到達。
 在日朝鮮人アーティストと沖縄のアーティストを軸としながら、東アジアにおける戦争と政治とアートとを、越境しながら接続する稀有な試み。
 しかも3時間分のDVDが本編と対をなす、というべきか、DVDもまた言葉による書籍本体と同等の重みをもつもので、けっして「付録」ではない。DVDに収められた7人のアーティストたち、そして佐喜眞美術館と、丸木位里・丸木俊。これらと釣り合うべくして編まれた言葉が、文章として収められている、とむしろ言うべきか。いずれにせよ、両者合わせて一つの本(本なのか?)をなしている。

 7人のアーティストたちは、琴仙姫、呉夏枝、山城知佳子、金城満、宮城明、北島角子、イトー・ターリ。そして音楽提供のピアニスト高橋悠治も加えなくてはならない。なので8人。その作品映像とアーティストへのインタヴューが、2時間強。沖縄の佐喜眞美術館では、上記のアーティストたちが、丸木位里・丸木俊の共同制作「沖縄戦の図」の前で、パフォーマンスをおこなった。
 僕もまた、「アジア・政治・アート」に参加する1メンバーとして、その場に居合わせた。結局僕はそれらのアートの衝撃を前に、言葉を紡ぎ出すことはできなかったけれども。

 言葉編のほうの目次は以下。
 序文のために  李静和
 死を死なせないこと  李静和・高橋悠治
 音の輪郭  新城郁夫
 沖縄で響くリズム、ズレるリズム  上間かな恵
 皮膚と反復  阿部小涼
 石の力  鄭暎惠
 影の東アジア  崔真碩
 残されたやわらかな部分で  矢野久美子
 水の身体  東琢磨
 繰りかえしと語りのしぐさをかたちにする  金惠信
 記憶されない死  佐藤泉
 呉夏枝と琴仙姫の作品における「ポストメモリー」
   レベッカ・ジェニスン
 彼女の語りの身体  池内靖子
 どの文章も、アーティストたち、作品、沖縄に深く呼応するもので、ここでその文章だけを取り上げて批評することは不適切だと思う。映像だけでは不十分なのはもちろんとしても、少なくともDVDといっしょにこれらの文章を見てもらえればと思う。

 ただそれでも、李静和さんの序文については二点だけどうしても言っておきたい。
 一つには、これが10年以上前に書かれた衝撃的な〈政治哲学詩〉とも称すべき「つぶやきの政治思想」(のちに青土社から単行本化)への自己言及になっていること。しかもそれが、偶然性と必然性をともなって同時に刊行された『スピヴァク、日本で語る』における静和さんのコメントと相補的になっていること。10年というときを経て、なお静かに浸透しつつある「つぶやき」は、いま静和さん自身の口と手によってもう一度語り直され、そしておそらくゆっくりとは次の局面を迎えつつある。
 もう一つは、この本全体が、そして何より静和さんによるこの序文が、「アジア・政治・アート」を、影で支えてくださっていた村山敏勝さんへの深い深い追悼となっていること。このプロジェクトの途中で急逝された村山さん。僕自身も個人的に会ったことがあったし、また亡くなる10日ぐらい前にもこのプロジェクトの集いで会っていた。誰もが若くて、そして静かにでも快活に笑っていた彼が亡くなるなんて想像もしていなかった。

 李静和さんという稀有な人柄と、本当に惜しまれた故・村山敏勝さんとのもとに集まった人びとによる、(オビの言葉を借りれば)「未知の政治を思考する出会いの記録」。
 なお、素晴らしいDVDの編集は、琴仙姫さんの尽力。本書カバーは宮城明さんの「マグマ01」から。口絵カラー写真には、呉夏枝さんの「花斑」から。その他、多くの写真も書籍のほうに収められている。

 A5版の大型で300頁、3時間のDVDと合わせて、3000円というのも破格と言っていい。

 かつてない、今後もないだろうという、本当に稀有な一書。
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