現代日本の哲学者に対する明晰かつ誠実な読解の試み――勝守真『現代日本哲学への問い』

勝守真、『現代日本哲学への問い――「われわれ」とそのかなた』、勁草書房、2009年

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 廣松渉、大森荘蔵、永井均、高橋哲哉、4人の哲学書を、徹底的に論理的に読解することで、その論理の振幅のなかに、著者の意図を超えた可能性を読み込もうという試み。きわめて明晰かつ誠実な読解の実践であり、快著だと思います。

 著者は、いわゆる科学哲学を「専門」とする研究者ですが、近代的「知」の核にあるロゴス中心主義(合理性を信じて疑わない態度)を批判的に論ずるうえで、上記のような日本語圏の哲学者たちの哲学的営みへの関心は、どちらが本職ということなく、相互に密接に結びついているとのこと。
 また、著者も言うように、「日本哲学」というカテゴリがー実在するわけではありません。そうではなく、現代日本における日本語による哲学的書物が、十分に研究対象となることなく、敬して遠ざける傾向が強いことを著者は懸念しています。

「本書の考察は、大森や廣松の哲学を尚早にも〈前時代〉のものとして遇することなく、むしろ今日の思想動向との緊密な呼応関係に置きなおすとともに、永井や高橋の思考・言説にたいして、哲学の原理的な視座から対質を試みるものである。」
「本書を通底する発想のモティーフは、簡略化して言えば、〈私〉の現前や「われわれ」の共現前、あるいは「われわれ」にたいする意味・価値の現前の構図がいかにして自らを掘り崩し、それを根底的に超える〈他なるもの〉へと開かれるかという問いの追究として特徴づけることができる。」


 著者の勝守氏が科学哲学を専攻すること、および、取り上げられる哲学者の名前から、野家啓一氏の名前を想起させられます。野家氏も廣松&大森の弟子であり、また歴史物語論争では野家氏は高橋氏と対立する部分もあります。したがって本書では本文や注で野家氏の名前が頻出しますが、実は、僕自身、東北大学の学部生時代は野家氏の指導を得て、廣松&アルチュセールにおけるイデオロギー論の比較考証をする卒業論文を書きましたし、その野家氏が『物語の哲学』(岩波書店)を刊行したときの合評会の場で、僕は勝守氏と出会っています。
 そういう意味でも本書は、個人的にはいろいろと興味の尽きない本です。

 しかし、たんに興味という範囲を超えて、著者の誠実かつ厳密かつ野心的なテキスト読解には、目を見張るものがあり、多くを教えられました。哲学的営みの見本を見せられた思いがします。
 とりわけ驚いたのが、第5章の高橋哲哉論です。デリダ研究者として知られる高橋氏の、慰安婦問題や靖国問題に対するアクチュアルな発言については、専門研究と切り離して論じられる傾向があり、なかには、デリダ的ではないとか、超越的な倫理主義だとして、露骨な拒絶を表明する向きも世間にはあります。しかし勝守氏は、1995年の『記憶のエチカ』、2000年頃の『戦後責任論』&『歴史/修正主義』)、そして2005年の『国家と犠牲』の、三期に分けた厳密な読解を通して、高橋氏の歴史認識論や責任論が、「語りえないものを語らねばならない」というアポリア(『記憶のエチカ』)と、「正義」の実現のためには避けなければならない/しかし避けられない「犠牲」というアポリア(『国家と犠牲』)、こうしたアポリア論によって一貫していることを明示します。しかも、倫理主義批判にとくに晒された2000年頃の高橋氏の著書から戦略的にアポリア論が後景に退いていることをも見抜くのです。
 その断固たる政治的スタンスゆえに、毀誉褒貶の激しい高橋氏の主要著作に一貫する思想を、まさに同時代人として、ここまで徹底して明晰に読解してみせた論の運びは、見事というほかありません。

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