スピヴァクの具体的な顔が見える思想と活動のエッセンス――『スピヴァク、日本で語る』

G・C・スピヴァク、『スピヴァク、日本で語る』
鵜飼哲監修・解説、坂元ひろ子序文、岩崎稔・李静和・竹村和子・大橋史恵=応答、本橋哲也・新田啓子・竹村和子・中井亜佐子=訳、みすず書房、2009年

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 スピヴァク氏の来日講演・討議の全体像。すでに出ているスピヴァク氏の諸著作の背景と意図とエッセンスを伝えるとともに、さまざまな立場の研究者からの応答に丁寧に応えている。
 各講演では、『ポストコロニアル理性批判』(月曜社)、『ある学問の死』(みすず書房)、『他のアジア』(近刊=岩波書店)といった著作内容に触れつつ、しかし日本での講演であることを強く意識した補足を盛り込んでいる。日本研究者でないにもかかわらず、松井やより、目取真俊、大江健三郎といった固有名に言及があるというのは、いわゆる海外ゲスト来日講演ものとしては、異例と言える。
 まだ日本語訳のない「他のアジア」のエッセンスが読めるのも貴重だ。

 応答のなかでとりわけ感動的であったのは、済州島四・三事件と「アカ狩り」の時代を体験せざるをえなかった家族のことと、元「従軍慰安婦」のことを想起しつつなされた、李静和さんの「「洗練」を想像すること」。これは、李静和『つぶやきの政治思想』(青土社)という特異な書物――ほとんど一冊の長篇詩――を自己引用しながら、その誕生の背景を語ったものでもあった。
 この応答は、インド独立前の西ベンガルのカルコタに生まれ育ち、長くアメリカ合衆国で学び・教えつつも、絶えず故郷の子どもたち・女性たちの教育のために労力と金銭を惜しまず活動を継続しているスピヴァク氏に対する、そして「サバルタン」という問題提起をしているスピヴァク氏に対する、もっとも切実な応答であったと思う。
 というのも、静和さんの触れた四・三事件の当事者たちと元「慰安婦」たちは、語らないこと・語りえないこと、それでもなお語ることを求められること、語らせられる暴力と、語りの戦略と、そうしたもろもろの証言の問題を背負わせられているからだ。
 そしてスピヴァク氏、静和さんともに、「教育」ということの困難と可能性と責任とを、誰よりも誠実に実践によって引き受けていうように思われる(少なくとも静和さんについては、僕自身が『つぶやきの政治思想』によって重大な衝撃を受け、またさまざまな意味で教えられてもきた)。

 なお巻末の鵜飼哲氏の詳細な解説は、スピヴァクのもっとも早い紹介者であった氏の面目躍如たる適確な要約解説となっていて、これまでのスピヴァク氏の仕事の文脈のなかで本書の講演・討議の意義がよくわかるようになっている。
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