藤井貞和、『湾岸戦争論』の続編、『言葉と戦争』(大月書店、2007年)

藤井貞和、『言葉と戦争』、大月書店、2007年

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 村上春樹のエルサレム賞受賞騒動に触れたためか、藤井貞和『湾岸戦争論』(1994)を紹介した記事はアクセス数がかなり多い。やはり村上春樹人気の煽りなのかしら。とはえい、僕のほうはと言えば、依然として村上にも、受賞騒動にも関心がない。忙しいし、ほかに読むべきものがいくらでもあるし。

 さて、藤井貞和『湾岸戦争論』を紹介したが、藤井はその後も、詩人・文学者による戦争に対する発言にこだわりつづけ、書きつづけてきた。本書、『言葉と戦争』(大月書店、2007年)はその続編とも言える論集である。そして前著同様に、中心部分には、長文の書き下ろし評論が用意された。

 巻頭に「ちからが足りなくて」という詩を配している。以下はその詩の最初の一節のみ。

 ちからが足りなくて、批評の足腰が、弱々しくて、
 優しい、性格で、みんなして、見ないふりして、
 まわりに合わせる、ちからのない言葉たち、表情よ、
 なんにもできなく、三年、十年がたち、
 ただうたってる風のうたを、板かべに、置きわすれ、
 古い夢の、落とし穴への、確実な誘惑で、校内を、
 はだかのまま走り回る、悲しみ上手だよ、ぼくらは。


 オビにもある「言葉は戦争に向き合えるだろうか。」とあるように、著者は誠実に思考してきたし、詩人・文学者としての責任を果たしてきた。内容は、よくわからないところも、異論のあるところもあるけれども、でも、この「こだわり」には心底、敬意を覚える。

 以下、「あとがき」より。
 本書は1章に、書き下ろしの「言葉と戦争」をまとめて載せてある。たいへんに重たい箇所となったことをお詫びする。
 戦争の起源と、それの現在と、今後のわれわれが何をしなければならないかという、日ごろだれもが知りたいと思い、なかなか解答を得られない内容について、言葉にたずさわる者としての責任の限りにおいて、道すじを何とかつけようとしている。この箇所を、広く読まれたいとつよく念願する。それとともに、文体は二十歳台前半の若者や、もしかしたら高校生諸君の読書対象になってくれてもよいと思って、かれらに語りかけるような心で書いた。


 この第1章では、原初的な暴力から、ナチズム、民族浄化、テロリズム、ヴェトナム戦争、第二次湾岸戦争(イラク)、靖国問題、基地問題、憲法、人権にいたるまで、広範に論じられている。文学、思想、言語学だけでなく、生物学や精神医学までが動員されている。上記の意図はひしひしと伝わってくる。

 また、湾岸戦争時の論争からの十数年の時の経過を考えると、藤井の重要さがよりはっきりしてくる。あのとき論争のなかで戯れていたほかの詩人やヒョーロンカたちはたくさんいただろう。彼らはいまはどこで何をしているやら、だ。

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