「ディアスポラ」の理論化と応用への試み――野口道彦他『批判的ディアスポラ論とマイノリティ』

野口道彦/戴エイカ/島和博(著)、
 『批判的ディアスポラ論とマイノリティ』、
   明石書店、2009年


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【もくじ】
第1章 戴エイカ ディアスポラ
         ーー拡散する用法と研究概念としての可能性
第2章 戴エイカ アフリカン・ディアスポラ研究の展開
第3章 戴エイカ 在日コリアン青年の学びあう場
第4章 野口道彦 ディアスポラと部落そしてパラダイムの転換
第5章 野口道彦 ディアスポラとしての中上健次
第6章 野口道彦 ディアスポラと部落問題、そして移民問題
第7章 島和博 「下方の」あるいは「下方への」ディアスポラ

 三人の執筆による一冊であり、いずれも、「ディアスポラ」という概念が、分析の道具としてどこまで有効性があるのかを意識しながら、あるいはいまだ概念としては確立されていないものとしての「ディアスポラ」の可能性と危うさを探りながら議論をしている。
 私自身もこれまで、『ディアスポラと社会変容』という一冊を編集し、また、戴エイカ氏がここで何度か参照している『現代思想』特集「隣の外国人」の編集協力をし、そしてボヤーリン兄弟の『ディアスポラの力』を翻訳紹介してきた。そうしたなかで、「ディアスポラ概念」がまだまだ発展途上の概念であることは、身をもって知っている。
 この論集もまた、そうした動向・潮流に乗った一冊として読んだ。

 そのうえで、この本でもっとも面白く読めたのは、第6章(野口道彦)と第7章(島和博)だった、とまず明言しておきたい。

 野口氏の第4章は、被差別部落の流動性・越境性に着目することで、ディアスポラの視角から新たな光を当てることができるのではないか、という問題提起だ。この観点を引き継ぎ、具体的に発展させたのが、その次の二論考で、第5章は、部落出身の作家・中上健次の「路地」概念に着目して、ディアスポラという視角を中上論に導入した。第6章は、北海道開拓移民と満州開拓移民に、被差別部落出身者がどのように動員され、どういう帰結をもたらしたのかを詳細に分析したものだ。
 とりわけこの第6章は、「開拓移民」を政策的におこなった側、その政策に乗ったか乗せられたか強いられたかはさておき、移民した被差別部落民の側、そして移民先で侵略を受けた先住民の側、という複合的な視点を取り入れた重厚な論考である。実は正直なところ、ディアスポラ概念など入れなくとも、実証的な歴史考証として十分に読むに値する仕事であり、この被差別部落出身移民というネタだけでも貴重な論点を出している。
 ともあれ、野口氏の被差別部落論は、これまでのディアスポラ論の範囲・対象としての新しいものであり、果敢な取り組みだと言える。3章もあるなら、やはり一冊にして単独で出されるべきではなかったか。あるいは、本書は3人で400頁、5千円を越える大著となったが、野口氏の被差別部落ディアスポラ論は、もう少し発展させて、より安価でコンパクトな単著として世に問うべきだったのではないか、という気がする。

 第7章の島和博氏の論考は、開高健と梁石日の「アパッチ族」小説(『日本三文オペラ』と『夜を賭けて』)の比較読解を通じたディアスポラ論だ。ある意味で、危ういところまで論を進めていて、部分的な論の運びや個々の引用において不安なものを感じるところもあるが、しかしだからこそ島氏の論考は、「ディアスポラ」を論ずる必然性に迫っていると感じられた。
 まず開高の『日本三文オペラ』が、鉄屑泥棒集団「アパッチ」を、徹底して「非国民化」された「最下層の人びと」として描いている点で、ナショナリズムに回収されない「ディアスポラ」的存在を際立たせているとする。しかし、その実態においてアパッチの大多数が在日朝鮮人であったという事実に照らして、その固有の歴史的意義を問い直そうという、当事者でもあった梁石日による批判と彼の『夜を賭けて』を対置する。
 ところが島氏は、再度あえて開高のアパッチ小説を読み直し、開高作品が在日朝鮮人を「無視」したわけではなく、アパッチが「一切の社会的属性を剥奪されている」最底辺の存在であったという形で描こうとしていたものを読み取ろうと企てる。実際、在日朝鮮人「同胞」からさえも追放された人びとが最後にアパッチ集団に受け入れられたという点に、逆説的にも、真にディアスポラ的な生のありようが象徴されている、と。
 あまりにもレトリカルなユートピアに響くかもしれない。だが、文学の力はその想像力にこそあるし、本書の各論のなかでも本章が、最も「ディアスポラ」そのものに肉薄していることは確かだ。

 取り上げる順番が逆になってしまったが、戴エイカ氏の3論考は、正直なところ、どれも取り立てて感心するところはなかった(なので最後にもってきた)。
 第1章、第2章は、ともに英語圏のディアスポラ論のサーヴェイだ。たいへん広範に勉強されているし、それを網羅的に猛スピードで紹介しているので、英語圏での議論の状況を知るには有用だろう。また、「トランスナショナル」でも「ポストコロニアル」でも、どちらでも捉えきれない歴史性と現在性を同時にカバーする概念としての「ディアスポラ」論という位置づけの仕方もクリアーだ。
 だが、本書の試みを考えたときに、2章で合計130頁を費やす意味はあっただろうか。私自身はすでにこういった議論の流れをすでにおさえているので、ザッと読んで飲み込めたが、しかし一般的な読者層を想定した場合、次々と参照される議論をフォローするのに途中で息切れし、本を閉じてしまうのではないかと心配する。
 また、第3章の新世代の在日コリアン論は、たんに「KEY(在日コリアン青年連合)」の活動紹介の域を出ない。もちろんKEYの活動そのものは意義深いものだと思う。しかし第一に、KEY自らが日本のなかで社会発信をしている大きな活動体であり、その「紹介」を本書でする必然性が感じられない。第二に、在日の若者論としてとくに新しくもなければ深められもしていないし、それを「ディアスポラ」として(しかも「批判的ディアスポラ論」として)あえて論じることの意味も十分に展開されていない。
 以上、第1~3章については、とくに内容的にまずいところがあるとかいうわけではなく、書かれてあることはむしろ妥当だと思うのだが、本書全体の試みに鑑みたとき、あるいは、昨今の日本語圏でのディアスポラ論の展開に鑑みたとき、あまり積極的な意義を見いだせなかった。

 最後にもう一度。被差別部落から開拓移民への流れを論じた第6章(野口)と、二つのアパッチ論の比較読解を通してディアスポラを論じた第7章(島)、ここは熟読する価値があったと思う。

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