「日本」の芸能史を根底から塗りかえる重要な研究!――宋安鍾『在日音楽の100年』(青土社)

宋安鍾『在日音楽の100年』(青土社、2009年)

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 今年のはじめに刊行された一冊で、日本と朝鮮半島との一世紀にわたる関係史を、芸能史と人物史の観点から掘り下げ描き直す力業。正直、圧倒されました。
 近年の韓流ブームなどもあり、韓国の歌手や俳優がどんどん日本に入ってきて、新しい世代の文化交流だとか未来志向だとか語られますが、そのブームがいったいどのようにして、日本と朝鮮半島とのあいだにある文化=政治の歴史を、端的には、植民地主義の記憶を、隠蔽し忘却することによって成り立っているのかを思い知らされます。

 第1章は、「在日音楽」ということばをめぐり、また本書全体の基本的背景となる歴史や理論をめぐる議論。それ以降最後まで展開される100年の芸能史の掘り返しと考察が、確たる論証に耐えうるものであることが、この章の緻密な議論によって納得させられます。
 第2章は、ちょうど100年前にデビューし、植民地統治下の朝鮮半島と日本内地とをまたにかけて活躍した、しかも伊藤博文の「私生児」とも言われる、裵龜子(ペ・グジャ)の生涯を追う。まさに植民地主義の申し子のような生い立ちから、それゆえにそこから「朝鮮人」としての自己獲得を通し、文化を通した反植民地的抵抗を企て、そして戦後には忘却されアメリカに没した女性。著者はここに「在日音楽」の起源を見ます。
 第3章は、「失郷民」吉屋潤/キロギュンを通して、「戦後」の韓国と日本の錯綜した関係を考察します。分断前の「北」にルーツをもつ吉屋は、さらに戦後に日本に「密航」し、芸能界で活躍し、紆余曲折を経て、韓国に「帰国」。その背景には多くの政治も絡んでいました。
 第4章は、和田アキ子、新井英一、白竜、趙博、田月仙といった「在日二世」たちの芸能界への登場と、その労苦、新しい展開とを描きます。およそ1950年代生まれで60年代から70年代にデビュー。生まれにおいては、戦後直後から混乱・復興期において、一世の親やあるいは自身が、日本社会から差別を受けるなど苦労し、他方で、かつての朝鮮半島の植民地支配とそのもとでの交流の歴史・記憶が隠蔽・忘却されるプロセスのなかで、在日が「タブー」化されていった時代でもありました。
 第5章は、三世以降の新世代の活躍とアイデンティティを追います。沢知恵、PUSHIM、ソニン、クリスタル・ケイ、などなど。とくに、あるときから「在日」であることや、朝鮮学校出身であることを明らかにしていったソニンが、祖先の地で、南北分断線で見せた涙についての記述は印象的です。

 以上、全5章。「100年」を総覧するものではないにせよ、「戦前」、「戦後」、「二世」、「三世以降」をテーマ化しており、日本の朝鮮半島の併合・植民地化以降現在までの時代をカバー。その時代時代を象徴する、あるいは時代を背負った/背負わされた「在日」芸能人を焦点化することで、つまり、大衆的な芸能や音楽という「われわれ」が日常的に受容している文化を「在日」の観点から掘り返すことで、実は偏狭な国粋主義にとらわれている(でもそのことを自覚できていない)「われわれ」の文化観、文化アイデンティティを解体させています。
 とりわけ第2章と第3章は圧巻。まさに、戦前の植民地帝国から戦後の国粋主義へという転換が、二人の人物に徹底して寄り添い、時代を掘り下げることで、描かれていっています。

 このサイトも含めてインターネット界には、「誰々は朝鮮人」などという、まったく低劣きわまりない差別言説がはびこっていますが(本当に社会の恥だ)、本書の志はそれとは比較にならないほどはるかに高い。
 もし「日本の芸能界は在日が多い」といった言説を見聞きした人。それから、日本の韓流ブームに対して、肯定的であれ否定的であれ、ちょっと関心がある人。そういう人は、ぜひとも本書を読んでほしいと思います。

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在日音楽の100年
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宋 安鍾

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