植民地支配が創り出した「民族」対立、そして煽られた虐殺――ゴーレイヴィッチ『ジェノサイドの丘』

フィリップ・ゴーレイヴィッチ、『虐殺の丘――ルワンダ虐殺の隠された真実』(上・下)、柳下毅一郎訳、WAVE出版、2003年

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 1994年、フツ系の政府軍とフツ人民兵らによって、ツチ人100万人が虐殺された。規模だけで言えば、第二次世界大戦中のホロコースと以来のものとなる。
 しかし世界はこれを、「フツ族対ツチ族の部族争い」と報道した。
 
 しかし、ドイツやベルギーが植民地支配する以前には、そんな民族紛争など存在しなかったどころか、そういった「民族区分」自体がなかったということは注意を要する。
 言語や文化や身体などにおいて区別がなく、明確な線引きはない。そして通婚も頻繁で、ますます線引きなど不可能。おおよそなんとなく、一方では農耕が比較的多く、他方では酪農が比較的多い、といったような差異を見いだすことはできた。

 1885年のベルリン会議でヨーロッパ列強がアフリカ再分割した際に、ルワンダとブルンジはドイツ領にされた。
 第一次世界大戦でドイツが敗れ、その「戦利品」としてベルギーが植民地を譲り受け、支配。

 ドイツの植民地だったときに、ツチ人貴族内部の王位継承争いが生じ、その際に支配国ドイツとツチ人の結びつきが生じ、ツチ人のほうがドイツの後ろ盾を得て、フツ人支配という「二重植民地体制」ができた。

 第一次大戦後に支配国となったベルギーが「ツチ対フツ」の構図を植民地統治に利用するために、初めてIDカードを導入した。このとき初めてルワンダ人は、自分が必ずツチ人かフツ人かのどちらかに属さなければならないという、外的・強制的なアイデンティティをもたせられた。
 そしてベルギーは、少数派ツチ人をエリート層に仕立てて、間接支配の道具にした。

 1962年にルワンダが「独立」する際、ベルギーは今度はフツ系政府を立てて体制転換をはかって、植民地を手放した。その結果、民族的な紛争・対立が引き起こされたのだ。
 ツチ人の多くは隣国に避難したが、国外で抵抗拠点を形成。1990年に内戦が勃発し、94年にフツ人の大統領が暗殺されたことをきっかけに、フツ人が国内のツチ人「一掃」のために虐殺。
 さらに、周辺に旧植民地をもつフランスがプレゼンスを高めるために、虐殺をおこなったフツ側に組織的に軍事援助をしていたことも指摘されている。

 ドイツ、ベルギー、フランス、、、これらの植民地支配、植民地主義的介入によって虐殺が起きた。
 なんか、帝国主義戦争で植民地支配・再分配があって、「民族」が恣意的につくられて、そして対立が煽られるっていうのは、世界中に共通するということを確認。

 ところで、本書の翻訳でもそうなっているのだが、どうして「ツチ族」「フツ族」と「族」を使うのだろうか。どうして「ツチ人」「フツ人」ではダメなのか。逆に、同じ時期に民族紛争・ジェノサイドのあった、旧ユーゴスラヴィアで、「セルビア族」とか「クロアチア族」とは言わない。これは、アフリカ=後進的な部族社会、という偏見ではないのだろうか。

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ジェノサイドの丘〈上〉―ルワンダ虐殺の隠された真実
WAVE出版
フィリップ ゴーレイヴィッチ

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