「他者」の哲学的な認識について――梅木達郎『サルトル』NHK出版

梅木達郎『サルトル――失われた直接性をもとめて』NHK出版、2006年

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 前回紹介した金泰明氏の著作を読んで、梅木さんの『サルトル』を読み返した。
 というのも、NHK出版の担当編者が同じであったこと、それから通底するテーマとして、「他者とのつながり」について、少し違う角度からの哲学的な認識について考えたかったということがあった。

 梅木さんは、本書でも強調しているように、学生時代から強固なサルトリアンだった。しかし、ある時期からサルトルがまったく読めなくなり、バルトやデリダやジュネやセリーヌなどを広く読みあさるようになっていったらしい。僕と会ったときは、もっぱらデリダ&ジュネにはまっていた。「自分はもうサルトルを卒業したんだ」と言っていた。
 その梅木さんが、一巡して、サルトルを論じたのが本書。
 実存だ、アンガージュマンだと謳われたサルトル・ブームの頃の通俗的理解とは異なり、むしろサルトルは、直接的に他者や世界そのものに触れることにあらかじめ挫折しているところから、思想構築をしている。そこにこそサルトル哲学の真髄がある、と梅木さんは言う。無媒介には到達不可能な他者の存在。それが出発点だ。

 その他者とのあいだで、いかに「自由の相互承認」という関係を結ぶことができるのか。「だれをも支配せず、だれからも支配されず、自他のあり方をそのあるがままの姿で認め合うような関係」(p.76)、それがサルトル(を介した梅木さん)の求めた倫理だ。
 他者への「呼びかけ」?、「贈与」?、「愛」?、それが相手を束縛したり利用したりしないとう保証などない。
 そこまでサルトルは考え抜いていた、あるいはサルトルからそこまで読み取りうる。
 その意味で、サルトルは汲み尽くせぬ思想的源泉だ、と梅木さんは言う。

 他者の支配と自由の問題については、同じ梅木さんの重要論文集、『支配なき公共性――デリダ・灰・脱構築』(洛北出版、2005年)も合わせて読んでください。

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サルトル―失われた直接性をもとめて (シリーズ・哲学のエッセンス)
日本放送出版協会
梅木 達郎

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