それは1995年に始まった(?)ーー『オルタ』08年9-10月号で現代日本を再考する

『オルタ』2008年9-10月号、特集「1995ーーあの年、なにがあったのか。」

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 まずは特集の前に、このあいだの反G8デモで逮捕された「イルコモンズ」の小田マサノリ氏と、救援活動にあたった「素人の乱」の松本哉氏との対談があります。
 2人は楽しそうだからいいですけど、それにしても、毎度のごとく嫌がらせ逮捕をする公安の品性のなさと税金の無駄遣いはなんとかならんかな、と思います。

 特集「1995ーーあの年、何があったのか。」、PARCのサイトの特集の紹介文。
阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、歴史認識問題、沖縄少女暴行事件、ウィンドウズ95の発売……。1995年は、「戦後日本」の終わりを印象づける年として記憶された。時を同じくして、日本社会の根底では、ある一つのことが起こり始めていた。対米関係の下での構造改革─金融・資本の規制緩和、さらには労働・雇用の規制緩和である。干支が一巡した2007年、労働市場の自由化は、大きな社会問題となって跳ね返り、当事者による運動や論議がクローズアップされた。その段階を経て、残された課題とは何なのか、現状を打開する鍵はどこにあるのか。「95年以後」を参照しながら、今後に備えるものとしたい。

 冒頭対談は、「反貧困ネットワーク」の湯浅誠氏と「フリーターズフリー」の大澤信亮氏。
 この対談の2人も含めて、同特集に登場する若手たちは、13年前の1995年に自分は何をしていて、どうして現在の活動に入っていったのかという道筋をわりと語っています。「なんでこうなっちゃったのかな」ということも含めて。

 特集のなかで、ジェンダー研究者の澁谷知美氏の指摘は、以前に、やはりジェンダー研究者の海妻径子氏のトークで聞いたことと重なった。ワーキングプアや高学歴フリーターが深刻な社会現象として叫ばれているが、男性の特権・既得権が奪われたって嘆くのなら、だったら女性の場合はどうなのよ、と。そのとおりだと思います。

 堀江宗正氏の「スピリチュアル」流行批判も大事ですね。ホントに周囲に蔓延していて僕も困っています。

 友人の浜邦彦氏(『ディアスポラと社会変容』の共編者)の文章は、、、いっしょに仕事をしてきた仲ですので、よく話をしてきたことでした。95年という画期に、「戦争の記憶」と「ナショナリズム」についての語りが盛り上がった時代に、学生としてさまざまな触発を受け、批判精神も養ってきた。ただ、改めて考えると、彼は95年は大学院生、僕は学部生。微妙な体験の差も感じられました。
 特集については以上。もちろん他にも記事はあります。目次参照。

 特集以外の連載より。
 友人の執筆は、リレーエッセイ「不思議の国のフェミニズム」の金友子さん、連載「北京で考える」の丸川哲史さん、連載「隣のガイコクジン」の大月啓介さん。
 金さんの書かれた「毛」のこと、僕もこの夏、職場で「どうなのさ?」って聞かれました。
 丸川さんの中国論はいつも瞠目させられます。『現代思想ーーチベット騒乱』でもそうでしたが。
 パレスチナ・エルサレムで知り合った大月さんですが、やはりパレスチナに関心をもつ人は、日本のことからきちんと考えているなぁと思います。僕も大学で「多文化共生」について講義をしている身ですので、参考になります。講義でも記事を紹介したいと思います。今回の記事は、「中国から来た少女」。学校現場からのレポートです。

 あと連載でこれは!、というのは、森口豁氏の「「沖縄」ーー見たことのない映像」。森口氏は30年近くにもわたって、一人の沖縄の男性を断続的に取材してきた。第一作の『沖縄の十八歳』(1966年)では、「祖国復帰」を追い求める青年。第二作『熱い長い青春』(72年)では、いっそうの米軍基地化のために、彼は「復帰」に失望していた。第三作『一幕一場・沖縄人類館』(78年)では、沖縄への同化政策が明治期の「人類館事件」(植民地レイシズムの発露)と重ねられ、第四作『戦世の六月』(83年)では、父となったその男性が2人の子どもに歴史を伝える。
 そして森口氏は、「このシリーズは、作品の作り手である僕自身の自画像だったのだ」と言う。
 抉られるような文章でした。

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