書評誌二紙がボヤーリン兄弟『ディアスポラの力』をとりあげるーー合田正人氏と上野俊哉氏

ジョナサン・ボヤーリン、ダニエル・ボヤーリン(著)
『ディアスポラの力ーーユダヤ文化の今日性をめぐる試論』
 赤尾光春・早尾貴紀(訳)、平凡社、2008年


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 刊行してすぐにここに案内を出したボヤーリン兄弟『ディアスポラの力』ですが、、『図書新聞』9月6日号『週刊読書人』9月12日号で扱われました!

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 図書新聞のほうの評者は、合田正人氏。拙著(早尾『ユダヤとイスラエルのあいだ』)の書評も、『読書人』のほうでしてくださった方です。またしても力の入った批評をくださり、感謝です。しかも一面トップの扱い。このような硬派で高額な本は、しかも日本語で初の紹介ともなれば、こういう形で批評を受けないと、なかなか注目してもらえません。本当にありがたいことです。

 全文を読んでいただきたいのですが、ここではそれはできませんので、それぞれに図書新聞に当たっていただくことにして、ここではいくつかの論点の紹介のみ。
 合田氏が評価するのは、以下の点です。ジャン=リュック・ナンシーやエマニュエル・レヴィナスなどの哲学的な問いとの格闘、そしてジェイムズ・クリフォードなどのカルチュラル・スタディーズの問いとの格闘をしながら、ユダヤ・ディアスポラの遺産の意義を、ユダヤ人に特権化することなく、しかしユダヤ人の思想と経験を稀薄化することなく、ディアスポラの可能性を探究しているところ。同時に、合田氏が強調するのは、ディアスポラを復権させながらもそれを「正常化」することの陥穽をボヤーリン兄弟が意識している点です。
 その上で、ボヤーリン兄弟の「最良の箇所」として合田氏が評価しているのが、バフチンのラブレー論を参照しながら論じた社会的身体(性化されていたりグロテスクなものとされる身体)を通した、「ディアスポラ的アイデンティティ=不揃いのアイデンティティ」についての議論です。
 本書の第一章で中心的に扱っている問題であり、また第四章にも深く関わっています。
 けっして読みやすい本ではないと思うので、こうした書評を導きの糸として、読んでいただければ幸いです。

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 週刊読書人のほうの評者は、上野俊哉氏。第1章から第4章までバランスよく言及され、すみずみまで読み込んだ素晴らしい書評でした。
 評者の軽快な文体がテンポよく、楽しく読ませます。本書そのものがけっして読みやすいものではないので、なおさら、こういうノリのいい文章での紹介はありがたい。

 末尾の方の一部を引用します。
「そして、一章にぽろっと出てくるジュネの名と戯曲作品への言及と、四章でふれられるユダヤ的なもののヘゲモニーの放棄、より寛容なシオニズムへの呼びかけを見るにおよび、ヤラレタ、すっかりそう思わされた次第である。「シオニズム、許さん」と叫ぶか、よりしなやかに、かつ実効的にシオニズムを相対化するか? ディアスポラの批判理論はそこでも駆動しているのだ。」

 訳者としては、「寛容なシオニズム」という表記にまとめられると誤解というか、ボヤーリン兄弟のラディカルさ(根底的なシオニズム批判)が見失われるのではないかと心配しますが、それはさておき、たったの一回しか登場しないジュネの名前まで書評でしっかりフォローされるというのには驚きました。

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 上記のように、すばらしい書評二本に恵まれ、訳者としてはたいへんに幸運であると思います。
 これらの書評を導入に、ぜひ本書を手に取っていただければと思います。



ディアスポラの力―ユダヤ文化の今日性をめぐる試論
平凡社
ジョナサン・ボヤーリン

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