「不法占拠」地区から読み直す日本の近現代ーー金菱清『生きられた法の社会学』

金菱清『生きられた法の社会学ーー伊丹空港「不法占拠」はなぜ補償されたのか』(新曜社、2008年)

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 この本は、京都の洛北出版さんのブログ「+Message from...」に掲載された紹介記事で知りました。

 フィールドは、大阪伊丹空港の土地の一角を、在日朝鮮人が国有地を「不法占拠」しているとされる地区。著者は、学生時代から9年間、その地区に通いながら、おしゃべりやらインタヴュー調査をしながら、深くその土地と住人の来歴に分け入っていきました。そして、航空写真と土地登記の照合。
 そこで判明したことは、なんと、「不法占拠」の不法性が後から発生したものであり、実は居住の事実のほうが先立っていたという事実。戦中からの空港建設に動員された朝鮮人労働者の飯場として始まった事実としての居住。戦後の米軍占領下、そして1958年まで続く空港の接収下で進んでいった集落形成。国の土地登記は実はそれよりも後の70年代。つまり、「不法占拠だ」と言うために登記がなされ、不法状態がつくられたというわけです。
 不法であるということがイコール悪であり不当である、という論法自体、時代背景のなかで生成されるものであり、何が合法なのか、何が不法なのかという線引きには、権力の意思が、つまり法的暴力が働いていると言うべきでしょう。

 そしてさらに注目すべきは、「不法占拠」をしているにもかかわらず、昨年、この地区の集団移転が、完全な公的補償によってなされたということです。なぜ「不法」占拠であるにもかかわらず、強制排除ではなく移転補償ということになったのでしょうか。つまりここでも、実体的な法が杓子定規に適用されるというのではなく、解決しようとする意志によって、著書のタイトルに従えば、法が「生きられた」ということになるのでしょう。
 空港の礎を築いた在日朝鮮人が、そしてまた日本社会での生きづらさによって流れてこざるをえなかった在日朝鮮人が、空港に接する一角にひっそりと「不法状態」で暮らしてきたという、歴史性と政治性を正面から受けとめるとき、強制排除という選択肢はどんなにか非人間的なものとして作用したかわかりません。
 日本の国民ではない、国籍をもたない定住者の人権を、法がどのように保証するのかということを考えるうえでも、示唆的な一書だと思います。

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