北方先住民から日本の近代化を問い直すーーテッサ・モーリス=スズキ『辺境から眺める』

テッサ・モーリス=鈴木、『辺境から眺めるーーアイヌが経験する近代』、大川正彦訳、みすず書房、2000年

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 この6月に日本政府・国会が初めて、アイヌを「先住民」として認めました。このたったの一歩のためでさえ、あまりに長い時間がかかりました。
 萱野茂氏の尽力で、1997年にようやく「北海道旧土人保護法」が廃止され、代わりに「アイヌ文化振興法」が制定されました。しかしそれでもなお、「先住民」としては認定されませんでした。それから11年、ようやくにして、公的にアイヌは「先住民」と認められたのです。
 どうしてここまで頑なに認めたがらなかったのかといえば、たんにそれは「単一民族」神話への固執だけではないでしょう。「先住民」だと認めれば、つまりアイヌの地を「北海道」として支配したことが、侵略であり不当な土地の収奪であったということについての「謝罪」が次に求められ、もし「謝罪」をしたとなれば、その次には「補償」が求められる、ということになります。それを恐れているからではないかと思います。
 今年は、オーストラリアでは、一歩踏み込んだ政府による「謝罪」がおこなわれました。しかし、補償についてはまだです。ただいずれ議論せざるをえなくなるでしょう。

 『辺境から眺める』の著者テッサさんは、オーストラリア在住の研究者です。アボリジニを専門とされるわけではありませんが、本書でもオーストラリアのアボリジニ政策への言及があります。
 「アイヌ問題」についての、あるいは「アイヌ文化」の研究書はそれなりにいろいろとあります。しかし、テッサさんの本が特異であるのは、真に世界史・人類史的な視点から「近代化」や「近代国家」そのものを深く考察しているところです。
 とりわけ、日本とロシアとのあいだの「国境問題」の駆け引きのなかで、いかに北方先住諸民族が翻弄されてきたのかという点について、アイヌにとどまらない、より少数の民族集団についてまで論及していることと、こうした諸問題を、アイデンティティ・ポリティクスや集合的記憶やシティズンシップ概念といった、近代国家に普遍的な課題へと接続していること。こういったあたりが、特徴的だと言えるでしょう。

 それにしても、近著『北朝鮮へのエクソダス』と同様に、ひじょうにテッサさんらしい繊細な眼差しが感じ取られるとともに、日本人(和人)の研究者には書けないということについて、やはりという思いと同時に羞恥のような感覚を覚えます。

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辺境から眺める―アイヌが経験する近代
みすず書房
テッサ モーリス=鈴木

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