戊辰戦争は「東北独立戦争」だったーー維新史観とは異なるもう一つのナラティヴ

星亮一『仙台戊辰戦史ーー北方政権を目指した勇者たち』三修社、2005年

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 日本国家の基礎の樹立、近代化の発端と言えば、誰もが「明治維新」と答えるでしょう。
 でも、東北地方から、とくに仙台や会津から見れば、薩長を中心とした維新軍は侵略と殺戮の軍隊。戊辰戦争は、「奥羽征伐」の戦争でした。
 ところが、会津の隣の郡山に生まれ仙台に育った僕でも、学校教育でずっと教えられてきた歴史は、維新史観でした。薩長は、京都守護をしていた会津藩を、「殲滅する」まで和解・恭順を一切認めず、仲介にあたった仙台藩をはじめとする奥羽諸藩に対しても、薩長への従属の証しとして会津討伐を迫りました。
 奥州の各藩は、会津討伐につまり薩長に「義なし」として、奥羽列藩同盟を結成し、徹底抗戦を決めます。そして白石にて、北方政権の国家独立宣言に署名し、海外に対しても、「薩長こそが傀儡の賊軍である」とし、北方政権の承認を求めました。
 もちろん海外の大国は、この内戦の行末を慎重に眺め、どちらが勝つかを見極めようとしていましたので、そう易々と北方政権が認められるはずはありませんでしたし、結果的には軍事力で勝る薩長軍が勝利します。

 しかし、結果的に薩長軍が買ったというだけのことであり、薩長が官軍で東北地方が賊軍というわけではありません。もちろんその逆だと言いたいわけでもありません。あくまでその当時は、正統性をめぐって法権利上は対等な戦いをしていたということです。買った方が、その後の正統性を独占したというにすぎません。たまたまその当時、軍事力で一方が勝っていた。たまたま榎本艦隊の仙台入りが遅れた。そういった偶然の事情が、勝敗を分けました。
 戊辰戦争はそういう内戦でした。
 でも、仙台で学校教育を受けたにもかかわらず、北方政権の独立宣言など教えられたことがありませんでした。国家教育によって、一元的に維新史観を摺り込まれるばかりでした。そういう教育の方が怖いですね。

 ちなみに靖国神社は、戊辰戦争の薩長側「官軍」の死者のみを祀る施設でした。「賊軍」たる奥羽の人びとは祀られることがありませんでした。そういう施設が、「日本国家のために死んだ者」を、ナショナリズムを鼓舞する道具として利用しているわけです。総理大臣が靖国参拝なんて噴飯ものなのはもちろん、靖国の存在自体がむしろ歴史の隠蔽、内戦の忘却のために働いているのだと思います。

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