早尾貴紀:本のことなど

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zoom RSS 丸川哲史『竹内好』(河出ブックス)とともに、『竹内好セレクション I・II』(日本経済評論社)を

<<   作成日時 : 2010/01/21 17:24   >>

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丸川哲史・鈴木将久(編)『竹内好セレクション I・II』(日本経済評論社、2006年)
丸川哲史『竹内好ーーアジアとの出会い』(河出書房新社、2009年)


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 丸川さんの『竹内好ーーアジアとの出会い』(河出ブックス)が刊行されましたが、それとともに、ぜひとも丸川(編)『竹内好セレクション』全2冊をお読みください。

 だいぶ前に、『季刊軍縮地球市民』(現在休刊中)に、その書評を書いたことがありました。長いので、最初と最後の二段落ずつを転載します。

 待望されていた竹内好の評論集が刊行された。もとより全集以外のコンパクトな書物で竹内の広範な言論活動を概観する機会がひじょうに限られているなかで、しかし日本社会がアジア地域でいっそう遊離していく現実は、ますます竹内の経験の読み直しを要請しているようにさえ思われる。そして、『日本への/からのまなざし』と『アジアへの/からのまなざし』という二巻本の形にした編者らには、そうした要請に応えるという確たる意図がうかがえる。あるいはむしろ、編集作業こそが、問いの所在そのものを明確化していると言うべきかもしれない。
 靖国問題、歴史教育問題、北朝鮮や中国への対応、沖縄に集中する在日米軍基地問題、等々と噴出し続ける日本社会の抱える問題は、日本社会がアジアとどう向き合うのかという問いを、戦後も一貫して蔑ろにしつづけてきたことに本質的に起因しており、場当たり的な対応といった表層の次元にあるのではない。アジアとどう向き合うのかということは、すなわち「日本」がアジアのなかに身を置きつつも、西欧的近代とアジア的近代のはざまでいかにアイデンティティを確立するのか、という問いでもあった。本書は、この問いに挑みつづけたにもかかわらず忘却の渕に置かれてきた竹内の遺産を、あらためて現在時から引き受けなおす最も誠実な試みであると思われる。

(途中、だいぶ省略)

 もっとも、私たちが竹内とともに直視しなければならないのは、侵略と占領の体験だけではない。戦後の分断体制もまたそうだ。一九四〇年代後半の再編期に、私たちを現在もなお縛りつける冷戦的分断体制の基礎ができた。かの地で言えば、四七年の国連によるパレスチナ分割決議、四八年のイスラエル建国宣言、四九年の第一次中東戦争休戦による分断体制の確立。東アジアでは、四七年の台湾の二二八事件、四八年の南北朝鮮の分断独立、四九年の中華人民共和国建国の時期だ。これはたんなる同時性を示すだけでなく、すでにアメリカ中心のアジア・アラブ戦略の帰結であった。もちろん東アジアの分断は日本でこそ起こるはずであったし、実際その可能性も低くはなかったが、分断は中国・朝鮮に生じ、日本社会は分断の前線から離れ全面的にアメリカの庇護下に入ることで、「民族の問い」への感度をその後ますます鈍くさせていった。無意識・無根拠のままに、分断の「こちら側」としての台湾・韓国へは共感を示し、分断の「向こう側」としての中国・北朝鮮へは嫌悪・拒絶を隠さなかったり、あるいは「親日」的か「反日」的かを物差しにしたりといった病理がそうだ。
 それに対し竹内が、「日中国交正常化」を挟んでもなお、一貫して中国認識を思想化することに努め、翻って日本の近代化について思考を深めていったことを、編者らは明示している。ユーラシア大陸の両端で、そしてそのあいだに広がるアジア地域で、現在噴出する諸問題を根本的に考えるためには、冷戦的分断体制そのものに向き合わねばならない。そのとき竹内の問いと思考の過程は、有益なだけでなく、不可避の参照点でさえあるだろう。

『季刊軍縮地球市民』(2007年冬号、228-229頁)


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