早尾貴紀:本のことなど

アクセスカウンタ

zoom RSS 心底寒気を覚える脳死臓器移植法案可決という事態――森岡正博『生命学に何ができるか』

<<   作成日時 : 2009/06/18 14:29   >>

トラックバック 0 / コメント 0

森岡正博、『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』、勁草書房、2001年

画像


 今日、衆議院で臓器移植法「改正」案のうち、A案が可決されました。
 僕は最初に書いておけば、脳死を人の死と定義することについても、脳死臓器移植そのものについても、反対です。なので、A〜D案のどれがマシということではなく、そのいずれもが、現状よりも脳死臓器移植をしやすいようにハードルを下げようとするものである以上、どれにも賛成はできません。
 もちろん、A案はそのなかでもより悪いものだとは思いますが、それ以前に、専門家の委員会レベルでも案を一つに絞り込めないほど、曖昧さと議論の余地を残しているものを、多数決の採決にかけてしまうというやり方に、心底、恐怖を覚えます。これで人の死が定義されてしまうというのに。

 脳死は人の死なのかどうか。これは最初から、「生きている新鮮な状態の臓器をできるだけ早く取り出したい」という目的のために設定された問題です。脳死が人の死なのかどうかが純粋に問題になっているのではありません。生きている新鮮な臓器を脳死患者から取り出すには、心臓が動いている段階で、その患者に麻酔や筋弛緩剤を投与しながら、欲しい臓器を摘出するのです。
 そこには実にさまざまな問題が介在しています。そもそも脳死は治癒や改善のありえない状態なのか。さまざまな治療の道が模索されているなかで、状態の改善、一定の回復が確認されたとする報告もあります。もちろんそれに対する反論はあるでしょう、「それはまだ脳死ではなかった。判定が間違っていた」と。しかし、ではその脳死判定の正否の保証などないことになるでしょう。
 脳死は大半のケースが交通事故などによってもたらされます。唐突に家族に告げられる「回復の見込みのない脳死」。その悲嘆と混乱の状態で、脳死臓器移植は、一刻も早く新鮮な臓器を入手すべく、家族らに嘆くヒマも与えずに、「臓器を提供してほしい」と交渉に入るわけです。そこで後悔のない判断をしろと?
 脳死臓器移植は、「若者の大量かつ深刻な交通事故」を必要条件にします。高齢者の弱った臓器よりもまだ若く丈夫な臓器のほうが好ましく、また病気で長年弱った末の肉体の臓器よりも、ついさっきまで元気に飛び回っていた肉体の臓器のほうが好ましいからです。そして、「臓器医療」を制度化するとなれば、需給バランスが求められるため、一定の供給量が必要となります。したがって、若者がどんどん致命的な交通事故で脳死になったほうが都合がいい、というわけです。
 また脳死「患者」はこれ以上医療行為によって生きさせる価値がないという判断は、生きるに値する生命とそうでない生命という序列化をもたらし、それは脳死患者と臓器提供を待つ患者とのあいだだけの問題でなく、「生命の価値」というものを測るということを意味します。その序列化は、ほかのありとあらゆる人間についても適用されない保証はありません。社会的重荷とみなされた人は、いつ「生きている価値がない」とみなされるかわからないことになります。

 その他その他、脳死臓器移植にはあまりに問題が多い。
 それを一気に隠蔽しようとするのが、「脳死は人の死である」という法的な決めつけなわけです。
 それでもって、本人の意思確認が不要になる。あえて拒否するという意思表示がなければ、「暗黙の同意」があったとみなされることになる。これは提供の意思表示をする「ドナーカード」という制度に実は内在していた問題です。提供の意思表示を拒否の意思表示にすることで、形勢を大逆転させられる魔の手があるのですから。
 そして、意思確認が一般的に不要になれば、子どもから臓器を摘出することの制約もなくなるわけです。次々とどんでん返しが起こるでしょう。

   *   *   *

 本の紹介ではなく、持論を書いてしまいました。
 さて、本の話。こういう問題を考えるにあたっての基本文献が、森岡正博、『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』です。
 とくに、序章・第一章・第二章が脳死に関係します。脳死の「現場」で何が起きているのか、家族は脳死をどのように受けとめているのか、人間を脳に還元するような議論でいいのか、等々といった問題が、丁寧に展開されています。
 また、この「生命倫理学」の問題が、女性や障害者に対する差別とも深い関わりがあることを、第三章以降で展開します。
 なお著者の森岡氏には、先駆的な『脳死の人』(1989年)という本があり、本書はそれ以降の思考の深まりと展開を追ったもの。この機に再読。
目次
 序 脳死との出会い
第一章 いま脳死を再考する
第二章 生命と他者――〈揺らぐ私〉のリアリティ
第三章 ウーマン・リブと生命倫理
第四章 田中美津論――とり乱しと出会いの生命思想
第五章 「暴力としての中絶」と男たち
第六章 障害者と「内なる生命思想」
最終章 生命学に何ができるか

にほんブログ村 本ブログ 学術・専門書へ




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

心底寒気を覚える脳死臓器移植法案可決という事態――森岡正博『生命学に何ができるか』 早尾貴紀:本のことなど/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる