早尾貴紀:本のことなど

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zoom RSS オスロ合意直後に出たサイードの最重要時評集、15年後についに翻訳刊行!――『収奪のポリティックス』

<<   作成日時 : 2008/10/18 23:01   >>

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エドワード・W・サイード、『収奪のポリティックス――アラブ・パレスチナ論集成1969-1994』、川田潤ほか訳、NTT出版、2008年

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 すでに、パレスチナ情報センターのサイトでも取り上げましたが(「オスロ合意から15年――エドワード・サイードの『収奪のポリティックス』を読もう」)、今度は、週刊読書人の10月24日号に書評を書きました。
 パレスチナ情報センターでは紹介にとどめ、週刊読書人では書評紙という正確も考え、もう少し踏み込んで翻訳の問題にも触れました。ただ、紙幅の問題もあり、具体的な箇所の指摘などはできませんでしたので、この場で補足したいと思います。
 ただ、その前に再々度、本書翻訳刊行の重要性を繰り返しておきますが、原著は、1967年の西岸・ガザ地区の全面占領(第三次中東戦争)以降、93年オスロまでの時期の主要なトピックについて網羅しています。そして、オスロ合意そのものの問題が、実はかえっていまの和平交渉の破綻を招いているのです。そのことをサイードは本書刊行の時点で明確に指摘しています。また、これらの時評の執筆時期は、サイードの専門分野の主著『オリエンタリズム』から『文化と帝国主義』に至るほとんどのものを執筆刊行していた時期に重なりますので、時評のほうもいちばん力のこもったものを書いていた頃のものです。
 したがって、本書がサイードの最も重要な時評集であることは、(残念ながら)現在でも変わりなく、和平交渉が行き詰まっている現在だからこそ、どうしてそこに至ったのかをきちんと振り返り分析するためにも、本書が日本語に訳されて刊行されたことは、たいへんに重要だと思います。
 この点については、週刊読書人を読んでください。

 さてここでは、やや書きにくいですが、翻訳上の問題点について指摘したいと思います。

 アラビア語やヘブライ語から英語に転写された地名や人名などの固有名詞のカタカナ化について十分な配慮が払われないまま、英語的発音をそのまま機械的にカタカナに置き換えらたような表記が散見されたのは残念です。
 これは、サイードが「英文学者」であったという事情から、日本語に翻訳する仕事をやはり英文学者が担ってきたために生じたことです。これまでのサイード翻訳もそうでしたが、今回もまた残念ながら同じでした。文学論ではなく、政治評論集なのだから、もっと配慮してほしかったという思いはあります。
 しかも本書97頁では、サイード自身が、アラブ人名の英語表記のいい加減さについて、「失言」や「徴候的誤り」として批判している箇所があります。この日本語訳書が、その批判にそのまま当てはまってしまうような表記に溢れているというのは、たいへんに皮肉なことです。
(註1:アラビア語/ヘブライ語だけでなく、たとえば、フランス人のレジス・ドブレが「デブレイ」になっていたのも英語主義。それに「ドブレ」は日本語に訳された著作も10を越えますので、ほとんど常識と言っていいと思います。)
(註2:私は厳密に正しいカタカナ表記があるとは考えていません。結局は近似値を自分で判断せざるをえないと思っています。ただ本訳書では、ある程度の定訳を調べることや、近似値の判断を放棄して、英語的でよしとしているように見えるということが問題だと思います。)

 次に、これはいちばん問題だと思われたことなのですが、national に関わる訳語をほとんど「国民」と置き換えて済ましてしまっている点です。国家なきパレスチナ人たちが「国民」たりえないということこそが問題だというのにです。あるいは、ユダヤ人の文脈においてだって、「民族」か「国民」というのは歴史的・政治的に繊細な事柄です。パレスチナ/イスラエル問題の歴史は、「民族/国民」をめぐる問いの積み重ねでもあったわけですから。
 具体的に指摘します。

・8頁、バルフォア宣言によって約束された national home が「国家建設の地」と訳されています。しかし、バルフォア宣言では、あえて「国家state」ととられないように曖昧にするためにこの言葉が使われたという微妙な事情がありました。ですので、日本語でも「民族的郷土」という訳語が定訳になっています。これはもはやパレスチナ問題の文脈では常識のはずです。

・157頁などにある、binational については「二国家併存政策」となっています。bi-が「2」を表しているのでそう表記したのでしょうが、歴史的文脈でこれは、それと正反対の概念で、「一国家」を意味します。これではまったくの誤読です。「一国家の枠組みのなかでユダヤ人もアラブ人も共存する」という意味で、「バイナショナル(二民族による一国家)」というふうに言うのです。それに対して、ユダヤ人国家とアラブ人国家とを別々に切り離そうというのが「二国家併存」です。ですので、まったくあべこべな訳になっていると言うべきでしょう。(456頁の「二国民併存」もまたしかり。)

・181-2頁に出てくる著名なパレスチナ人詩人マフムード・ダルウィーシュを形容する national も「国民的」と訳し、「国民的詩人」としています。しかし、パレスチナ情報センターの記事「パレスチナの二人の詩人」でも書きましたが、ダルウィーシュはイスラエル国家の「国民」であった一時期はあったとしても、その後は亡命パレスチナ詩人として、いかなる国家の「国民」でもありませんでした。そして、それこそが、パレスチナ人たちの難民的な生を象徴もしていたのです。レバノンで、ヨルダンで。エジプトで、チュニジアで、パリで、モスクワで、そして独立できない占領地パレスチナで、彼はいかなる意味で「国民」たりえたでしょうか? 国家がないというのに。

 とりあえず、この三ヶ所を指摘しておきます。
 これは、パレスチナ/イスラエル理解、そしてサイード思想の理解において重要な点です。もう少し慎重に訳語を検討できなかったものかと残念です。

 その他いくつか気になった点を列挙しておきます。

・158頁、アーレントの著書として挙げられている『放浪者としてのユダヤ人』というのは『パーリアとしてのユダヤ人』です。抄訳ですが日本語にも訳されて参照されている有名な本です。もちろん、「パーリア Pariah」というのは、「放浪者」のことではありません。インドの一部地方にある階層差別における「最下層民」から来ているので、あえて訳せば「賤民」。しかし、アーレント思想においてはそれを転用していることから、賤民というふうに狭く規定することもできないので、いっぱんに「パーリア」とカタカナ語にされています。

・269頁、「ティベリアから北へ向かう途中で通り過ぎたエリコ」とありますが、地理的には、エリコの北にティベリアが位置しています。もちろん原文も正しくそうなっています。on the way to Tiberias と。単純な誤訳ではあるのですが、でもどうしてそういう誤訳があるかと想像すれば、訳者らが、エリコとティベリアの位置関係を知らないからです。パレスチナ/イスラエル関係のものに関心があるならば、せめて地図ぐらいは確認してほしかったと思います。

・270頁にある「マンダテ時代」とは何のことでしょうか? パレスチナの文脈で、大文字の Mandate は「イギリス委任統治」を指す以外にはありえません。しかも原文にもわざわざ「1918-1948」と年号まで入れてあるというのにです。

・361頁、「ネヴァー・シャローム」という実験的な共同体について、訳注をわざわざ入れて「平和がないとの意」としていますが、これはヘブライ語の「ネヴェ」を勝手に英語的な never に置き換えた類推です。想像力を働かせた苦肉の訳かもしれませんが、「ネヴェ」というのは「オアシス」ぐらいの意味です。「平和のオアシス」。しかも、「ネヴェ・シャローム」は、イスラエル/パレスチナに多少とも通じている人であれば、日本でもある程度は知られていた共存の試みです。(平和が「ない」のに共生などあるか!)

 とまあ、このへんにしておきましょう。
 でも、最後に三たび強調しておきますが、サイードの大部なこの重要書が日本語になったこと自体は、喜ばしいことです。

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